香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

第3回:「母親」が釣りをするためには
本屋lighthouse 2026.05.30
誰でも
香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

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香港への引越しをきっかけに広東語を学び始めたら、なぜか釣竿をゆずりうけ、釣りをはじめたらいつの間にか、ある釣り友達の夕飯を釣りにいくのが暮らしの楽しみになっていた筆者の釣り&語学の魅力にせまる香港探索エッセイ。

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「母親」が釣りをするためには

 「本当に語学ができるかどうかは、電話対応のレベルでわかる」と言われる。電話でのコミュニケーションは、耳に頼るしかないからだ。ジェスチャーも唇の動きも、表情も見えないため、情報がかなり限られる。なので、花おじいちゃんからはじめて電話がかかってきたとき、すごく緊張した。

 ひとまず、おじいちゃんの挨拶は理解できた。「食咗飯未啊(もう飯は食ったか)」。「食咗。你呢?(食べたよ、おじいちゃんは?)」けれど、そのあとがいっさいわからない。おじいちゃんが話しながらときどき、「明唔明呀?(今のわかった?)」と確認してくれるたびに、「唔明!(ぜんぜんわかりません!)」と大きな声で返すしかなかった。その繰り返しの中でやっと、金曜日に釣りに行く約束をした。あとは目的地を聞き出せばいい。

 「ディクシーレイに行く」とおじいちゃんは繰り返す。なんだろう。なぜか聞き覚えがある。ディクシーレイ、ディクシーレイ、ディクシーレイ……迪士尼? 去年の冬、子どもたちと遊びに行った場所? 「ディクシーレイ」って、もしかしてディズニーランド?? わたしは今、おじいちゃんに、香港ディズニーランドに行こうと誘われているのか!? そんなわけがあるはずがない。「ディズニーランド??」そう声に出すと、おじいちゃんが「はいあー! 迪士尼!」とうれしそうに言った。なんでもディズニーランドには釣りができるところがあるらしい。「ジャングルブック」か、「ライオンキング」か、「ターザン」のアトラクションなら、釣りテーマの遊びがあってもおかしくはないけど。もしかしておじいちゃんは、わたしが釣り仲間を探していたように、ディズニーランドに一緒に行ってくれる人を探していたんだろうか。おじいちゃんとミッキーマウスと記念写真を撮るのか? どういった感じで……!? 色々な疑問が頭に渦巻いたけれど、その疑問をひもとく語彙力もないので、待ち合わせ場所だけしっかり何度も確認してから電話を切った。夫マイケルに相談すると、「ディズニーランド?」と怪訝な顔をして、「僕に相談するってことは、何か心配なことがあるってこと?」と尋ねた。別に心配はしていない。ただ、奇妙だと思っただけ。「いくみが大丈夫だと思うんなら、大丈夫」と言われた。マイケルはいつでもこうだ。17年間一緒にいる。カナダと日本、香港に一緒に住んで、いろんな出会いがあったけど、マイケルは基本的にわたしのそばにいて、信じて、放っておいてくれる。

 だけどわたしのママ友たちはそうはいかなかった。みんな口を揃えて反対した。ディズニーランドまで電車に乗って2時間ほどかかる。まずはその道のりを出会って間もない赤の他人と過ごし間が持つのか、と心配している。間が持つか持たないかは、やってみなければわからない。それから、知らない男性と二人きりでそんな遠出をするなんて非常識だし、釣りをする場所が不明なままでついていくのはあまりにも危険だとも言われた。まあ、そう言われるとそんな気もした。多分みんな、正しいことを言っている。でも、本当にそうかな。もしもわたしが男性だったらどうだろう? わたしが女性で、おじいちゃんが男性だというだけで、一緒に釣りに行くという行為そのものが土台から問題視されるのがデフォルトになっている。だけどその勝手に決められた初期設定より、わたしがおじいちゃんとのやりとりの中で直感的に感じ取った正直さ、というか、人間的な柔らかさ、そういう感覚を信じたかった。言語での情報取得が不可能なとき、他の感覚が研ぎ澄まされる。おじいちゃんの表情や、匂いや声のトーン。どんなふうに釣具をしまっているか、餌を保管しているか、他の釣り人とどんなふうに話をしているか、そういう振る舞いを観察することで得た自分なりのおじいちゃんへの信頼の種があり、それを大切にしたいと思った。

 「そもそもなんで、ディズニーランド?」その答えもよくわからないけれど、友達に何を言われても、行く決意は固まっていた。最後まで心配していたのは、香港人のナタリーだった。「20分ごとに写真送ってよね。死体になって海に浮かんでないか、心配でなんにも手につかなくなるから」と言うので、思い切り笑ったら、冗談ではないのだと背中を強く叩かれた。

 釣りをするにあたって、男か女か問題はかなり頻繁に浮上する。そもそも釣りは、男性のものだと思われる傾向が強いし、釣り人口的にも男性が多いだろう。長辻象平もその著書の中で餌の気持ち悪さが女性たちが釣りに行かない理由のひとつだと述べていたが、女性でも男性でもXジェンダーでもクィアでも、性別がどうだからといって虫が得意とか不得意とかが決まるわけはない。女性は虫を触れないはずだという決めつけに影響されている人はいるかもしれない。男女二元論でぱっくり分けてものを考え、男が魚釣りをしている間、女が家にいるというイメージを持っている人にはぜひ考えてみてほしい。家にいる女は、家にいるだけで気持ち悪くないものを手にしなくてすむのか。畑仕事をすれば虫はたくさん出るし、料理などの家事でもギョッとするような虫やグロテスクな物体を触らなければいけないことはたくさんある。それよりももっと、女性が家事や育児を担うこと、性別をもとに押し付けられた役割や、その価値観によってはばまれている行動の可能性を考えるべきだと思う。わたしだって二人の子供を育てながらフルタイムで仕事をして、それでどうやって釣りに行けばいいのかと尋ねられると、ぜんぜんわからない。子供も釣り場に連れて行ったり、ファミリーの活動として楽しむしかないかもしれない。

 でも今わたしは、香港という異国の地で二人の子育てをしてフルタイムで勤務しつつ釣りを楽しんでいる。その秘密は何か。ずばり、ヘルパー制度だ。うちには、ヘルパーさん、つまりお手伝いさんが来てくれている。わたしは望めば、家事の一切をしなくていい。ヘルパーに子守を任せて、外に一人で出ていける。だから釣りに行けるのだ。日本では「お手伝いさん」というと裕福な家庭のみの話かと思うかもしれない。けれど香港での状況はかなり違っている。12歳以下の子供がいる家庭の3割以上が住み込みのヘルパーを雇っているというデータもある(ヘルパーがいない家庭は祖父母などの親類からの外部ヘルプを得ているところが多い)。

 およそ3年前に香港に越してきたとき、学校の送り迎えを「母親」がしているのは子供のクラスでわたしだけだった。他の子供たちを迎えに来ていたのは、ヘルパーだった。子供の友達の家に遊びにいっても、他の子たちはヘルパーに連れられているので、ママ友を作ることなど不可能に思えた。ヘルパーたちはフィリピンやインドネシア出身の女性が多く、わたしが話しかければフレンドリーに返してくれるけれど、わたしのことを「マアム(奥様)」と呼び、雇用主である階級と雇用される立場である階級のラインを決して超えなかった。よそよそしさが常にあり、わたしが話す家庭のことはおそらく雇用主に報告されるのだろうという疑念が常にあったので、お互いにあまりリラックスした話はできなかった。

 香港に越してから1年間は、ヘルパーなしで、二人の子供の育児、家事をしながら、書籍を4冊訳しつつ英語を教えるという労働を続けたけれど、かなり体が無理をしていた。体重は落ちたし、夫もわたしも精神的な余裕がないので、小さなことでケンカするようになった。「授乳以外の家事育児は基本的に全部父親がする」をモットーに家事育児に励んできたマイケルだったが、在宅勤務のわたしへの家事労働の負担はどう工夫しても大きくなり、バランスが悪くなっていった。

 そんなとき、ふとマイケルが「いくみにばかりどうしても負担が行くから、ヘルパーにきてもらおう」といった。すると絶妙なタイミングで、海外への転居を控えていた友人から、自分たちが雇っていたヘルパーを雇う気はないかと相談された。彼女のヘルパーが「いくみに雇ってもらえないかな」と彼女に相談していたそうだ。わたしは数度、彼女に会ったことがあった。フィリピン出身で、友人の子供たちに接する姿を見て、素敵だな、うちにもこういう人がいてくれたらいいなと思っていた。

 外部のヘルプがないだけでなく、香港は10歳以下の子供をひとりで登下校させてはならない(留守番もだめ)。つまり、さっと買い物に行くときでさえ、毎回子供たちを引き連れて外出しなければならない。両親が高熱で寝込むと、子供たちは元気であっても、欠席させなければならないことも何度かあった。自分たちの私的なスペースを犠牲にする、というのは私たちカップルにとってはかなりハードルの高いことではあった。それに、別の搾取構造に自分たちも加担するという現実にもかなり抵抗があった。けれど結局は、自分たちの精神的、身体的な負担の軽減、そしてそれによって生まれる余裕が及ぼす私たち、そして子供たちへの前向きな影響を期待してヘルパーを雇うことにした。

 ヘルパーを雇うのに必要な費用は、月に日本円で約8万円だ(プラス食費、契約時に帰国用の旅費なども払う)。ちなみに日本の平均年収478万円、香港の平均年収はおよそ650万円だ。住み込みで朝から晩まで家事や育児を依頼できるため、朝6時から夜の11時までの労働を依頼する雇用主もいるが、私たちは午前10時から6時まででお願いしている。お給料は決まっていて、残業代もつかないので、長時間労働させても払う額は変わらない。私たちは家族会議を開き、①自分たちが要求されて嫌な要求は絶対にしない、②家族の一員として彼女を扱う、③自分たちでできることは最低限するし、それは子供たちにも要求する、というルールを決めて彼女にきてもらった。

 香港の人たちの中には、住み込みのヘルパーにお世話をしてもらって育った人も多く、そういう人たちは掃除や洗濯、皿洗いの仕方まで大人になっても全くわからない人も少なくない。けれどその分、女性に対する家事の期待が極端に低い。ガールフレンドや結婚相手に、身の回りの世話をしてもらうことを求めない。パートナーに求める条件として、料理が上手い方がいいか掃除ができる方がいいか、などということを問題にしている人やコンテンツを香港に来てから見たことがない(最高!!!)。そして警察や政治家、教育者など社会のリーダー的存在の人たちが表に出る場合、女性である割合がかなり高い印象を受ける。街には、ヘルパーに抱っこされている赤ちゃんがたくさんいるし、子供を持つこととキャリアを発展させることを、極端な天秤にかけずとも済むというのがよくわかる。ただ逆に、母親や子供たちが「わたしはあなたのヘルパーじゃない」などと家族に言ったり、フィリピン系やインドネシア系女性への見下したような、差別的眼差し、扱いに気づくことも少なくない。わたしがフィリピン人の友人と歩くとき、彼女がわたしのヘルパーだと間違われることは日常茶飯事で、彼女は香港での暮らしが苦痛で仕方ないという。私たちのところで働いてくれているヘルパーは、フィリピンに子供が二人いて、自分の子供たちと一緒に長期で暮らしたことはないという。こちらでの給料は、故郷での医者の給料に匹敵する額になるそうで、彼女は給料を仕送りして娘を大学院、息子を大学に進学させている。子供たちがそれぞれ高等教育を卒業したら、引退するそうだ。ときどき彼女の娘とわたしの子供たちが電話で話したり、手紙やプレゼントの交換をしていて、彼女の存在を通してフィリピンが近くなり、様々な言葉や文化を学ぶ機会になっているのも嬉しい。

 今回は釣りエッセイなのに釣りの話を全然していないけれど、わたしが釣りに行く話をする上で、とても大切なことだったので書きたかった。釣りに行き始めた当時は、ヘルパーはいなかった。だから、いつも子供たちを連れて釣り場に行った。子供たちの学校への送迎には釣り竿を持って行った。ヘルパーをお願いしてからは、一人で釣りができるようになった。それから香港の企業でフルタイム勤務をするようになって、それでも釣りを続けられているのは、外からのヘルプがあるからだ。ヘルパーがいなくても釣りはしていたと思うけれど、おじいちゃんから往復4時間かかる場所に行こうと誘われて快諾するなんてことはできなかっただろう。わたしの周りにいる多くの日本人ママたちも、ヘルパーを雇っている。けれどほとんどの人たちは、日本の友人や家族にはそのことを言わないようにしている。それは日本社会に根強い「母親」とはどうすべきか、何を背負うべきか、という決めつけ、ジャッジメントにさらされることを恐れているのも理由の一つだし、また、状況を一から説明するのが面倒くさいというのもあるだろう。そして彼女たちの多くが、「ヘルパーさんなしで子育てするなんてクレイジーすぎて、子育てが終わるまで日本には帰りたくない」と口をそろえる。ヘルパー制度にも多くの問題がある。ただ、日本の多くの女性たちが自分たちがやるべき仕事なのだと背負わされ、矛盾に気づきながらもシステム的に背負い続けざるをえない家庭内労働、そしてそれを背負わない選択をする女性たちに対するスティグマは、どんどん消えていったらいいのに。

 一度だけ、親しくなったヘルパーさんと釣りに行ったことがある。ふるさとではよく、木の枝で即席釣竿を作りボートで釣りをしたそうだ。その人が持ってきたエサは、ニンニクと塩漬けしたエビで、おいしそうな匂いがした。「ヘルパーだというと、女性の母性本能が必要ってよく言われる。だけどわたしはクィアだから、きつくなるときがあるよ」とその人は言った。その日も何も釣れなかった。香港の釣りは難しいねと言ってわたしたちは別れた。母性の押し付けは、いたるところにひそんでいる。

 そう思いつつ、日本で「母親とは耐え忍び自分を犠牲にして家族のためにがんばるもの」という価値観で育ってきたわたしも、ヘルパーに来てもらってほぼ二年がたつ今でも、胸がちくりと痛むことがある。「君はそれでも母親なのか」という意地悪な自分自身の目線に気づく。どんなふうに子供たちと接したら、何をしたら、母親なのか(何をどうしたって、いつもじゅうぶんではない気がするのに)。それを決めるのは誰なのか。手放した役目と、引き入れた自由と、新しい責任と、いろいろなものをゆるやかに動く天秤にかけながら試行錯誤を繰り返す。正解はわからないけれど、その試行錯誤が許される今の状況が、心底ありがたい。

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吉田育未(よしだいくみ)

佐賀出身。大学で米国留学をしてから10年ほどを北米で過ごし、現在は香港在住。広東語を学ぶ目的ではじめた釣りを通して、様々な魚や人たちと出会う。時間をかけたいものは、読書、散歩、そして釣り。教師や翻訳家として働く時間も大切。

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翻訳担当書籍

エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)

エマ・ドナヒュー『聖なる証』(オークラ出版)

アリス・シャートル/ジル・マケルマリー『リトルブルー』シリーズ(出版ワークス)

ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(オークラ出版)

デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(作品社)

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』(左右社)

アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』(早川書房)

トーリ・ピーターズ『ディトランジション、ベイビー』(河出書房新社)

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