香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

第4回:夢と魔法の国で鯛を釣る
本屋lighthouse 2026.06.27
誰でも
香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

***

香港への引越しをきっかけに広東語を学び始めたら、なぜか釣竿をゆずりうけ、釣りをはじめたらいつの間にか、ある釣り友達の夕飯を釣りにいくのが暮らしの楽しみになっていた筆者の釣り&語学の魅力にせまる香港探索エッセイ。

***

夢と魔法の国で鯛を釣る

 待ち合わせ場所に現れた花おじいちゃんは、大きなリュックを背負い、重そうなトートバッグを持っていた。会ったときと同じ黒いクロックスをはいて、ベージュのバケツハット、少し丈が短めのジーンズに、緑色のポロシャツ姿だ。わたしを見つけると、無表情で片手だけ少しあげた。会ったときから思っていたけど、彼は感情をはっきりと出すタイプではないのか、シャイなのか、あまり顔の筋肉を動かさない。

「地下鉄に乗る」

 それだけ言って、さっさと歩き始める。時刻は朝8時。ラッシュアワーのホームには電車を待つ人が長い列を作っている。電車に乗ると、案の定席はなく、二人で並んで立つことになった。何が入っているのかわからない重そうなトートバッグだけでもわたしが持つと申し出たけれど、おじいちゃんは軽く首を横に振り、ポケットから何やら紐を取り出した。プラスチックバックルがついている太めのヘアゴムみたいな形状のものだ。トートバッグとリュックをまとめると、わたしのリュックもよこせと合図する。全部の荷物をまとめて、取っ手に紐を通す。それを電車の手すりに巻きつけると、バックルをかちりといわせ固定させて、荷物を吊り下げた。おじいちゃんもわたしも、手ぶらで楽ちんだ。そうやって電車を乗り継いで、ディズニーランド行きの電車に乗る欣澳駅(サニー・ベイ駅)にたどり着いた。ここに来ると、客層がガラリと変わり、早朝だというのにミッキーの耳をつけた観光客やプリンセスの格好をした子供を連れたヘルパーや祖父母らしき人たちが多くなる。ちらほらと、釣具を持っている人たちもいる。

「ディズニーランド、本当に釣れる?」

 おじいちゃんに尋ねると、「係呀(はいあ)! ふたつ。釣る場所がふたつある」と答えが返ってきた。

 わたしは日本でディズニーランドに行ったことがないので、日本のディズニーがどんな雰囲気なのか全くわからないけれど、香港ディズニーランドへ向かう電車は窓がミッキー型で椅子や手すりなどもミッキー模様がほどこされ、広東語ミッキーのアナウンスメントが流れる。「ぼくミッキー!」のトーンで広東語が流れてくるので、なんだか不思議な感じがする。わたしはあまりディズニーには興味がなくて、ディズニーランドは「夢と魔法の国」だから行ったら絶対に楽しめると言われて挑戦した香港ディズニーも、全然楽しめず(家族と一緒に時間を過ごすという意味では楽しかった)、「山登りの方が楽しいね」と言った9歳の長男に心の底から同意した。ミッキーの陽気な広東語をバックに、おじいちゃんは眠るような表情でただ座っている。なんだかシュールな状況に、わたしはひとりニヤニヤしていた。

 ディズニーの駅の改札を抜けると、ディズニーランドの入り口まで大きな道が続き、ディズニーランドのウェルカムミュージック(?)が大音量で響いている。入り口に着く前に、鯨のしぶきで空に舞うミッキーをあしらった銅像がそびえたつ噴水があり、多くの人はここで記念撮影をする。おじいちゃんが真面目な顔のままで、「写真を撮ろう」と言うのでやっぱりディズニーファンだったのかと怪しみつつ、ぎこちないセルフィーを撮り、先に進む。チケットブースへ行くのかと思いきや、おじいちゃんはブースの左側の道をまっすぐ進んでいく。ここでもディズニー音楽が大音量で流れ、一歩一歩が大冒険であるかのような気持ちにさせてくれる(といいのだけれど、わたしはただ静かに歩きたい人)。おじいちゃんは赤い花や黄色の花の前で足を止めながら、ゆっくり行こう、と言い、急に身の上話を始める。「息子がいる。妻は走っていった」。これは広東語の直訳だけど、このコンテクストの場合、「走」には逃げたという意味と、なくなったという意味が考えられる。寂しそうにおじいちゃんは空を指さして、もう一度繰り返した。「走っていった」。広東語で「アイムソーリー(日本語にばしっと訳すのが難しいけれど、「そうだったんですね……」とか「お気の毒に……」とか気持ちを思いやる表現)」ってなんて言えばいいんだろう。なんと返せばいいのかわからずに、「いつ?」と不躾にたずねた。「もう10年以上前」とおじいちゃんが言った。「ウェイターしてた、ホテルの」。おじいちゃんの口から英語が出たのはこれが初めてだ。「ウェイター」。それから若いときの写真を見せてくれた。西貢のブライアンもそうだったけど、どうしてみんな、若い頃の写真を財布の中に持ち歩いているのだろう。わたしももしそういう年齢になったら、財布の中に若い頃のわたしの写真を持っておきたくなるのかな。

 おじいちゃんは「香港に来たのは70年代だ。中国のどこやらから来たけど、地図を見てもどこだかわからない。地図はさっぱり読めない」と話し、色々説明してくれたけれど、わたしの広東語が未熟すぎてあまりわからなかった。力不足に打ちひしがれながらしばらく歩いていたら、海に面した白い建物が見えた。建物のフェンスにもミッキーの模様がある。おじいちゃんはその白い建物へのスロープに足をかけながら、「着いた」と言った。ディズニーリゾート専用のフェリー乗り場だ。「ここなら屋根もある。トイレもきれい。魚もいる。西貢よりいい」とおじいちゃんが満足そうにうなずく。おじいちゃんの言った通り、白い建物はフェリーを待つ人のための待合所だけど、利用者が少ないのでほとんど待つ人はいない。フェリーも停泊していない。釣り人が数人、待合所の床に空いた穴から手釣りの糸をたらし、魚を釣っている。フェリーが発着する場所がふたつあり、おそらく「釣る場所がふたつある」というのはこのことだろう。おじいちゃんはわたしを右手奥のベンチに案内し、荷物を置くように言ったけれど、わたしは目の前に広がる海のあまりの美しさに思わず、埠頭の先まで歩いていった。地平線が、離島が、低い太陽が、光る水面が、それこそ魔法にかけられたみたいに清々しくて、晴れやかだ。

 振り向くと、おじいちゃんはクーラーボックスに腰をかけ、荷物を紐解いていた。釣竿、仕掛け、餌(オキアミ)、ハサミ、餌箱、ベルト、色々出てくる。わたしも釣竿を引っ張り出す。するとおじいちゃんが、これを使いなさい、とリュックから振り出し式の釣竿を取り出した。赤い取手の180センチの竿だ。わたしが使っていたのは240センチだったけど、短い方が扱いやすいのだそうだ。「30年前に釣りを始めた時から使っている竿」だとおじいちゃんが言って、わたしは魔女の宅急便のほうきのことを考えた。この使い込まれた釣竿にも魔法が、意思が宿っているのだろうか。おじいちゃんはゆっくりと時間をかけて竿を伸ばし、またゆっくりとラインを通した。わたしはせっかちで、どうしても気持ちが急いでしまうけれど、おじいちゃんのゆっくりすぎるくらいの道具の扱い方に、自分に欠けているのはこの感じなのかもしれないとぼんやり思った。「これが一番大事」とおじいちゃんは言った。それから、「釣りの前の日の準備と、釣り場での準備が一番大事」。そして仕掛けに餌をつけると、わたしに釣竿を差し出した。

 フェリー乗り場には、海へとつづく階段がある。その階段がおじいちゃんおすすめの釣り場だそうだ。波が引くと現れる壁には、たくさんの貝やフジツボが所狭しに生きている。おじいちゃんが「西貢では何匹つれた?」ときいた。「ゼロ」。おじいちゃんは声をあげて笑った。それから、「仕掛けをゆっくりと下ろす。そこに着いたら、ラインをはり、少し動かしたりして待つ」。そこまでは、今までたくさんの釣り人が教えてくれたやり方と変わらない。「ここで釣れないなら、あそこで、あそこでダメなら、また考える」。わたしは仕掛けをゆっくりと下ろし始める。「釣りは脳みそでやるんだ。好きにやんなさい」。そう言うと、おじいちゃんは自分の釣り竿の準備をしにフェリー乗り場に戻っていった。

 餌を落とした瞬間に魚が食うときがあるけれど、この日はとても静かだった。数回引き上げて確認するけれど、3つつけたオキアミは3つとも、かじられもせずに付いている。階段を一段ずつ上がりながら、仕掛けを下ろす。全然釣れないけれど、幸せだ。ラインを見つめているだけで、心が穏やかだ。気がつくとおじいちゃんが隣に立って、脇に釣竿を挟んでいるのを見せてくれた。「楽な姿勢でな」とおじいちゃんが言って、竿の持ち方を教えてくれた。腕と腰に負担がかからずとてもいい。「それから、これ」とおじいちゃんが差し出したのは、おじいちゃんの手作りの餌箱だ。プラスチックの箱に穴が空いていて、そこにベルトが通してある。腰に巻くんだと、手振りで教えてくれる。わたしが餌をつけるときに、いちいち屈んで餌をとっていたのが腰に悪いと思ったらしい。おじいちゃんのやり方だと、立ったままで餌の取り付けができる。「そこは日が照るから、日陰に入りなさい。楽にするのが一番大事」とおじいちゃんが言った。おじいちゃんの教えてくれた姿勢で、餌箱を装着して、もう一度静かに仕掛けを下ろす。

 すると、食った。かなり引きが強い。今まではほぼアイゴしか釣ったことがないけど、アイゴとはなんだか違う(気がする)。おじいちゃんも嬉しそうに顔をほころばせて、「釣れたか!」と声を出す。上がってきたのは、銀色に光る25センチほどのわたしにしてはかなり大物だ。タイ?? 鯛に見える。おじいちゃんが「ウォンギョクラッ」と魚の名前を言う。なんのこっちゃ全然話からない。あとで調べてみると、和名は「キヌチ」でスズキ系スズキ目スズキ亜目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属なのだそう。ってことは、タイだ!! タイが釣れた!! おじいちゃんは「喎,好犀利喎(めっちゃすごいやん)」と大興奮で、にこにこしている。「好靚,好靚(きれいだね、きれいだね)」と二人で魚をひとしきり愛でた。言葉はわからないし、出身も違うし、年齢も違うし、お互いのことはほとんど知らない。だけど、この世界で言葉にできることなんてそんなに多くない。言葉にならない気持ちや状況や存在のなかで、わたしたちは、わたしたちが思うよりももっと多くの共通点をもって日々を生きている。シェアできる瞬間や、共有できる気持ちの可能性にあふれている。わたしは職業として翻訳をしたり言語を教える毎日を送るけれど、「言葉」を大切に思えば思うほど、真剣に向き合って考えるほどに、言葉の限界も思い知る。言葉によって制限してしまっている可能性がたくさんあるのではないか。だからこそ、自分の使う言葉を裏返し考え続ける、そして新しい言葉を学ぶ、学び続けることはわたしにとって、新しい可能性を探るプロセスでもあるのだと思う。

 おじいちゃんとのこの始まったばかりの釣りで、わたしはすこぶるハッピーになっていた。何かが吹っ切れたような、そんな感覚だった。子供の頃からずっと、「頑張れ、苦しめ、修行だぞ」みたいなメンタリティで「頑張る人は報われる」とか「きつくても我慢しなきゃいけない」とか「苦労はしてなんぼ」と言われてきた。歯を食いしばって何かに取り組むことこそが成功への秘訣という精神論が心を蝕んでいた。20代で日本の外に出て、カナダで暮らした10年でそれがかなり抜けて楽になったけど、2019年から日本に帰った3年間、特に出版翻訳業界に片足を突っ込んだ時間で再び「10年以上修行してなんぼ」みたいな価値観でこちらを測ろうとする人たちに揉まれ、あの憎むべき価値観がふたたび暗い影を落としていたのかもしれない。滑稽に聞こえるかもしれないけれど、釣るときですらクソ真面目に「正解」を見つけて「頑張れば」釣れるようになると思っていた。だけど、おじいちゃんから「脳みそ使って、自由に楽にやったらいい。ゆっくり準備して、楽にやったらいい」と言われて、なんだかほっとした。楽に生きていいのだぞ。自分でゆっくり考えて、しっかり準備する時間をとって、準備ができたらまたゆっくり動き始める。花がきれいなら足を止めて、太陽がまぶしくなったら日陰を探して、腰が痛くなりそうなら痛くならない工夫をしたらいいんだ。楽にやって、いいんだぞ。頑張らなくてもいいんだぞ。

 嘘みたいに魚が釣れた。午後1時まで釣りをして、お腹が空いたのでランチにする。おじいちゃんの重いトートバッグの中は、全部ランチだった。出てきたのはバナナ5本、茶葉卵12個、里芋スティックと烏龍茶のペットボトル2本だ。「たくさん食べなさい」とおじいちゃんは言って、わたしは思わず大笑いした。わたしを成長期の高校生か何かと思ってる?? おじいちゃんの茶葉卵は絶品だった。ピカピカ茶色に光る煮卵。ちょっとしょっぱくて、ほんのり苦い。茶葉卵は、中国に古くからある卵料理で、ゆで卵の殻を剥かずに軽くひびを入れて、ウーロン茶やプーアール茶の茶葉、塩、花椒(カショウ)、八角(ハッカク)、小茴香(ウイキョウ)、香葉(ローリエ)、甘草(カンゾウ)、桂皮(シナモン)などの煮汁で煮込んだものだ。美味しかったけれど、12個はとても食べきれず、残りは家に持って帰ることにした。わたしも二人分のサンドイッチを用意していた。「作ってくれたのか」とおじいちゃんはうれしそうだったけど、おじいちゃんの茶葉卵に比べたら、サンドイッチなんてお茶の子さいさいだよ。

 帰りの電車はいっしょに座れたので、釣れた魚の名前を一つずつおじいちゃんに発音してもらい、スマホで探りながら魚の名前と漢字を突き止めた。そのときのメモには「雞魚(イサキ)、黃腳𩶘(キヌチ)、𢇃𩶘(マダイ)、 坑鰜魚(ゴンズイ)、黃尾池(ブリ)、金邊池(シマアジ)、石九公(カサゴ)、泥鯭(アイゴ)」とある。釣りを初めてからはじめて、手応えを感じた日だった。帰り際、おじいちゃんがあの釣り竿をくれた。「これ、あげるから、今度釣りに行くとき、忘れずに持ってきなさい」。おじいちゃんが30年間大切に使ってきた釣竿だ。いただくのは気が引けたけど、断る理由を説明できるわけもなく、ありがたく譲り受けることにした。

 ちなみにこの日釣れた魚は全部、おじいちゃんに持って帰ってもらった。こんなふうにしてわたしとおじいちゃんの「おじいちゃんの夕飯を釣る」日々がはじまった。

***

吉田育未(よしだいくみ)

佐賀出身。大学で米国留学をしてから10年ほどを北米で過ごし、現在は香港在住。広東語を学ぶ目的ではじめた釣りを通して、様々な魚や人たちと出会う。時間をかけたいものは、読書、散歩、そして釣り。教師や翻訳家として働く時間も大切。

***

翻訳担当書籍

エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)

エマ・ドナヒュー『聖なる証』(オークラ出版)

アリス・シャートル/ジル・マケルマリー『リトルブルー』シリーズ(出版ワークス)

ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(オークラ出版)

デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(作品社)

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』(左右社)

アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』(早川書房)

トーリ・ピーターズ『ディトランジション、ベイビー』(河出書房新社)

など

***

*こちらの連載は「web灯台より」にて読むことも可能です。

*最新号は誰でも閲覧可能、過去号はこのニュースレターを有料購読している場合のみ閲覧できます。

***

無料で「本屋lighthouseのニュースレター」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら