野球と政治と宗教の話

第1回
本屋lighthouse 2026.06.19
誰でも
野球と政治と宗教の話

野球と政治と宗教の話

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野球と政治と宗教の話は人前ではしないほうがいいらしい。ならばそのすべてをごちゃ混ぜにしてみたらどうなのだろうか、そしてどうなるのだろうか、と思ったので始めてみることにした。どれかひとつだけを取り出して話題にするのは御法度、だったらぜんぶ混ぜてしまえばいい、という解釈だ。

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そもそも野球の話はみんなしている。一般的には「政治と宗教と野球の話」と言われることが多く、つまり最後の野球に関しては冗談で、御法度なわけではない(それで喧嘩になっても構わない)というわけだ。私も毎年2月のキャンプインから10月あたりまでのレギュラーシーズンおよびその後の日本一を決める戦いが終わるまでは常に脳内に野球のことがあり、11月からはドラフト新入団選手だとか移籍市場だとか契約更改だとかの情報チェックに余念がない。気がつくとまた2月になっている。だから毎日野球のことを考えて、他者と話す機会があれば意見を述べる。吉井の楽天監督就任、個人的にはとても楽しみなんですよね。とか。

私は千葉ロッテマリーンズという球団を応援している。どうやらファンクラブには12年間在籍しているらしい。家から自転車で10分ほどの距離に本拠地のマリンスタジアムがあり、風向きがよい日には応援団の太鼓の音も聞こえてくる。マリーンズはそんなに強くない。直近の日本一は2010年で、その前は2005年。その2つもレギュラーシーズンでは優勝しておらず、レギュラーシーズン1位は50年以上前に達成してからは一度もない。しかしこの2回の日本一はプロ野球ファンの間では強く印象に残っているものでもある(キーワードは「33-4」と「下剋上」だ)。ほかにも18連敗という最長連敗記録の保持者だったり、決して強くはないが、へんてこな記録と記憶は残しがち。そういうチームと覚えておいてもらえればなにより。私はそんなマリーンズが好きで、だからマリーンズが勝てばその日は楽しいし、負ければちょっとつまらない(でも負けっぷりも愛らしいからやっぱり楽しい)。とにかく私の生活はマリーンズの試合結果に影響を受けており、2026年6月19日20時現在、マリーンズはイーグルス相手に5回終了時4-4の試合を展開している。このあとの展開はどうなるのだろうか。

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私の生活はもちろん政治の影響も受けている。生活に影響があるという点で、野球と政治は同等の存在と言えるだろう。どちらがより強い影響があるかと言われればもちろん政治なのだが、ここではそのような優劣、あるいは上下、あるいは……といった差をつけることは避ける、という基本方針でやってみたい。野球の話よりも政治の話のほうが大事だろ、というのは正論だが、その正論によってこぼれ落ちてしまうなにかがあるようにも思えるし、ごちゃ混ぜにするのであれば並列の意識を持っていたほうがいいような気がする。ここ数日でクソみたいな国民投票法が可決してしまったことと、やはりここ数日でマリーンズ前監督の吉井理人がシーズン途中でまさかの楽天イーグルスの監督に就任したことは、どちらも私の生活に影響を与えているのだから。

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数年前から月に数回、草野球をやっている。父親(67)が参加しているおじいちゃんチームの練習で、平均年齢はおそらく70代後半だ。リーダーは82歳、だった気がする。9人揃っていないので滅多に試合はできない。私はそこで最年少選手としてめちゃんこ頑張っているが、メンバーの数人はほかのチームと掛け持ちをしていて週6くらいで野球をやっているという噂だ。完敗である。それが誇張であっても、真夏も真冬も元気に2時間以上練習をしているのだから、元気であることに変わりはない。そして私が全力で投げ込む、この数年で少しずつ力と速度を増していったおそらく100キロくらいは出ているであろう(出ていてほしい)渾身の直球を、かれらは普通に打ってくる。

私はそれに負けたくないから練習をしたい。毎日ボールを投げたい。しかし私には仕事がある。どうにか月に数回の練習を確保している。おじいちゃんたちはやろうと思えば毎日できる。なぜなら年金で生活をしているからだ(父はまだタクシー運転手を続けているから私と同じ頻度で参加している)。私がいまコツコツと支払っている年金は、私の老後に戻ってくるのだろうか。80歳を過ぎても野球技術向上のために日々練習をしているおじいちゃんに私はなりたい。そのためには十分な年金が必要だ。そして平和な世界が。マリーンズの完全優勝も見たい。その翌年に最下位になる光景も見てみたい。そのためには、プロ野球選手という高い運動機能を持った人間が徴兵の対象にされない世界が維持されている必要がある(第二次大戦中に戦死した野球選手は沢村栄治だけではない)。つまりまっとうな政治が必要だということだ。そしてまっとうな政治の実現には野球が必要、とも言えるだろう。野球を楽しみたいという欲求が、私を駆動している。

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宗教についても話しておこう。私はいわゆる「無宗教」というものになるのだが、日本におけるこの言葉の扱い方には注意が必要でもある。冠婚葬祭を筆頭に、様々な文化のなかに各種宗教の要素が(時に雑多に)含まれていて、それらを無自覚に受容し楽しんでいるのが日本人だ。宗教の話はしないほうがいい、なんなら宗教と聞くと毛嫌いすらする、しかし宗教的要素で構成されている(ことに気がついていない)モノは楽しみたい。これが無宗教を自認する日本人の多くの態度だろう。

野球にも宗教は絡んでいる。多くのプロ野球選手を輩出している創価大学は創価学会の系列校だ。PL学園高校はPL(パーフェクトリバティー)教団だし、天理教が運営する天理高等学校もある(マリーンズ所属で私と同学年の中村奨吾はここの出身だ)。特にPL学園は桑田真澄・清原和博(KKコンビ)の名前とともに、名前だけは聞いたことがあるという人も多いだろう。硬式野球部が最近廃部になったこと、あるいは部内暴力事件に関連して記憶している人もいるはずだ。

ここで「だから宗教はよろしくない」となってはいけない。PL学園のウィキペディア、硬式野球部の項目に記載されている暴力関連のあれこれは、宗教法人が運営している学校だから起きたことではない。私はこれを読んで、自分の高校サッカー部時代のことを思い出さずにはいられなかった。私が当時経験していた暴力も、具体的な事案は異なっているが、本質的な要素は同じものだ。ならば野球が、あるいは「体育会系」と括られる存在に諸悪の根源があるというのか。それもまた違うだろう。暴力はどこにでも生じうる。しかし、野球と暴力(の組み合わせ)というテーマは確実に存在する。これはいずれ触れることになるだろう。

とにかく、野球と宗教には関わりがある。宗教を忌避しておきながら、宗教関連組織が運営する学校を卒業した選手は応援できる。これは矛盾なのか。矛盾だとして、あってはならない矛盾なのか。「野球を好き」であることが生み出す矛盾はほかにもたくさんある。マリーンズの主要スポンサーのひとつは、中国や韓国へのヘイトスピーチ的主張を日頃からおこなっているアパホテルグループである(客室に置いてある書籍は南京大虐殺を否定する、いわゆる歴史否定の主張をするものだ)*。私はその事実をどう受け取り、どのような反応をすべきなのか。いまだに明確な答えは出せていない。

*歴史「修正」という表現が日本では普及しているが、修正ではなく「否定」「否認」という表現のほうが相応しいという考えをここでは採用している。詳しくは小森真樹『歴史修正ミュージアム』(太田出版)などを参照するとよいだろう。

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そして私は本当に「無宗教」なのだろうか。キリスト教、イスラム教、仏教、あるいは新興宗教と括られてしまう(が実際には個別具体的な)多くの宗教のように、明確な信仰の対象や教義があるわけではない。しかしなんらかの「信仰」はあるように思える。信念と言い換えてもいい。生きるうえでの軸、指針と呼んでもよい。それがなんなのかは、まさに人生をかけて見つけていくことになるのかもしれない。大切ななにかがあり、それを追究していくこと。それは本屋かもしれないし、野球かもしれない。あなたにとってのそれはなんだろうか。そして、その追究の営みを私たちは宗教と呼ぶのではないだろうか。

野球には問題がある。宗教にも問題がある。だからそれらをすべて捨ててしまえばいい、そんなものと関わらなければいい。その拒絶は「政治の話はしないほうがいい」となにが違うのだろうか。それらはすべて密接に関わっている。いや、あらゆる物事が密接に関わっている。だからすべての話をごちゃ混ぜにしたほうがいい。とはいえぜんぶは無理だから(「ぜんぶ」っていったいなに?)、私は野球と政治と宗教の話をしてみようと思う。それは結局のところ、「私」の話になるのだろうけども。そしてあなたの「私」の話も聞かせてほしい。あなたはなにをごちゃ混ぜにして語るのだろうか、生きるのだろうか。

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