大手取次の「取次事業撤退」についての私見

そういえば思い出したので
本屋lighthouse 2026.06.07
誰でも

ここ数日、出版業界では多くの人が「取次事業撤退」に関する話題に触れています。そういえば私、日販にいたんだったな……と思い出したので私見を残しておきます。

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まず背景を説明しておくと、私は2017年の4月に修士卒の新入社員として「日本出版販売(日販)」に入社しています。自分の本屋を30歳までにひらくという目標を立てて、入社時には24歳になるから6年間、まずは業界の全体を見渡せる仕事をして知識と経験を……と目論んでのことでした。それで就活の時期がやってくる前から、主に都内各地で開催されていた本屋関連イベントに参加したり、そこで知り合った出版業界関係者に話を聞いたり色々なところに連れていってもらうなどして、ひたすら「勉強」をしていました。2015年〜2017年くらいは、いわゆる「独立系書店」と呼ばれるものが勃興していた時期のひとつで、それはいまもそうなんですが、いまの空気とはまた違った「始まり」感がありました。少なくとも私はそのように感じていて、その波にうまく乗ったのだと思います。独立系書店での出版記念イベント、「本(屋)の本」に関するイベントがたくさん開催されていて、そこに行っては「本屋をやろうと思っています。だからまずは取次に入ります」と宣言して回っている学生がいる……となると、出版業界の大人たちは前のめりにたくさんの話をしてくれました。いま、私はその気持ちがよくわかります。自分より若い人の夢や希望の話を聞くのはとても楽しい。

とにかくこのような、だいぶ幸運と環境に恵まれて得た、どう考えても学生レベルではない量の知識を持って取次会社への就活に臨み、それが評価されたのかどうかはわかりませんが日販から内定をもらい、入社をしました。そして実質1ヶ月で退職します。配属先が出版業界とは関係が(ほぼ)ない仕事をすることになるグループ企業に配属されたからです。日販IPSという会社の「海外駐在員サポート「CLUB JAPAN」事業」という部署でした。いまも元気にやっているようですね、なによりです。

どうしてこの部署に配属になったのか、人事にはもちろん確認しています。なにか具体的な理由があるわけでもなく、単に「色々な世界を知ったほうがいい」みたいなぼんやりとした理由しか返ってこなかった記憶があります。だめだこりゃ、となって辞めました。正確には、どうにか3週間ほどやってみたある朝に、起きたら布団から出れなかったのでこのままだと鬱になってしまうな……と思い退職届を提出、面談、理由に納得いかないのでやはり退職、という流れです。心身の健康を守るためにも辞めないといけなかったわけですが、やはり大きかったのは「この会社は出版業界の危機を認識していない(がゆえに、やる気のある新入社員に謎の配属をかましてしまえる)」ということを突きつけられたからで、じゃあこちらは勝手に業界改革というか、このまま終わってゆくであろう取次および出版業界の「その後」の世界でもやっていける方法を見つけていきますので!と、自分の本屋をひらく計画を前倒しで進めた(そしていまもその意識でやっている)わけです。

それでここからが本題(のひとつ)なのですが、冒頭のニュースを読んで思い出したのが、入社前提出課題みたいなものだったか、もしかしたら就活の面接時に(提出課題でもないのに勝手に)提出したのだったか、とにかく2016年〜2017年あたりの私が考えていた「さいきょうの業界改革案」があったな……ということでした。知識だけは一丁前にあったいわゆる若造が、怖いもの知らずにも程がある勢いで自信満々に提出した改革案……恥ずかしくてたまらない代物だぜ……とか思ったのですが、あらためて読んでみると細部に詰めの甘いところは多々あるものの、2026年の技術力なら(10年前に無視されずに取り組み始めていたら)これくらいのことができていてもおかしくなかったな……と思うものでもあったので、もう一度恥をかくためにこの記事を書いています。

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5ページある大作なので、そこまで興味ないわ!という場合はスクロールしちゃって大丈夫です。

5ページある大作なので、そこまで興味ないわ!という場合はスクロールしちゃって大丈夫です。

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ただただ文字を書きつらねているだけのクソなファイルですね。あってもなくても大差ないレベルの図がひとつだけあるのもまた、味があります。こんなんだから相手にされなかった=読まれなかったのかもしれませんが、危機的状況にあることを認識していたら、クソみたいな見た目のファイルだとしても読んでおくと思いますけどね。という個人的な感情はさておき。

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この提出物は取次目線で書いているものですが、同時に「本屋の生存確率を高める」ことも目的にしています。なぜなら私の目標は本屋をやることだから(ということも面接のときから隠さずに言っていました)。ごくシンプルにまとめると、

・返品を減らすこと=取次のリスク&コスト削減

・在庫量という物理的制限をなくすこと=本屋のリスク&コスト削減

が軸にある考え方です。

取次が苦境に陥っている理由は、端的に言うと以下のものになります。

・納品と同時に返品を行う効率のよい配送システムを成り立たせていた「雑誌」が売れなくなっている

・返品送料は実質的に取次負担なのでそのコストが厳しい

ゆえに、取次はずっと「返品削減」のための施策を打っているわけです。あるいは出版社に対して「送料負担」のお願いをしている。

一方で、本屋の経営が難しい理由(の一部)は以下のようなものになります。

・大きい本屋は在庫をたくさん持てるが、そのぶん人件費と家賃も大きくなる

・小さい本屋は維持費は少ないが、在庫量が少ないため売上も限界がある

前者はこの数年、物価上昇に伴う家賃引き上げなどによって駅前の好立地店舗が苦しくなっていくこととも関わっています。後者は、いわゆる独立系書店が増えていることと、そのような本屋はだいたい「本以外のなにか」が収益の柱として存在していることにあらわれています。そしてそのどちらでもない、大きくもないし好立地でもないし本を売ること以外の収益も得られない、つまりほとんどの「中くらいの」本屋がどんどんなくなっている。

とんでもない理想レベルの話をすれば、「人件費や家賃などの維持費がまったくかからなくて、無限の在庫量を持てる本屋」があれば最強なわけです。それに近いのはAmazonなのでは?と思う人もいるでしょう。私もそう思います。でもやっぱり「本は実物を見て買いたい」と思う人がたくさんいるわけです。それを贅沢だと言うつもりは一切ない、むしろそれができる環境を整備することを目標にすべきだと思います。それでもやはり「紙の本」には物理的な制約がたくさんあり……というところから思いついたのが上記の方法だったわけです。

私は当時から「紙か電子か」という考え方を否定しています。「どっちも」になればいいじゃん、という考え方です。このあたりの考え方はおそらく、当時読んでいたケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの』(NHK出版)の影響を受けています。選択肢を増やすことが大事なんだ、ということが書いてあったはずです。

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たとえば現状の本屋lighthouseの店内にはだいたい2500冊くらいの紙の本が並んでいるはずなのですが、その一角にiPadなどのタブレットを置いておきます。そのタブレット内には、私が選書してフェアのように展開している本たちのコーナーや、もっと網羅的に本が検索できるシステムも入っていて(たとえば版元ドットコムのようなもの)、チェックしたい本をお客さんが検索して見つけて、試し読みどころか全文参照(=紙の本の立ち読みと同等のもの)までできるようになっているとしましょう。タブレット内で見つけた本は①本屋lighthouse店頭受取(紙の本)②自身の電子書籍端末にダウンロードの2パターンで購入できるようになっています。そのどちらも、本屋lighthouse・取次・出版社の三者が利益を得られる仕組みになっているとしたら。損をする存在はどこにもいません。読者もうれしい。特にコミックは電子での購入が増えています。人気作になるほど巻数も増えるので、本屋は全巻在庫するのも難しいし、読者も本棚のスペースが問題になります。ほんとうは本屋lighthouseで買いたいけど、コミックは電子にしないと……という人もいるはずです。コミックに限らず電子で読みたい/読まざるを得ない場合もありますよね。ということで当店ではアフィリエイトをやっています。私が10年前に考えた仕組みに現時点でいちばん近いものはアフィリエイトなのです。現状ではKindleが最もリンク作成作業が容易なので、ウェブストアの商品ページの末尾にリンクを記載しています(上記『〈インターネット〉の次に来るもの』のページにもあります)。

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こんなものは本屋じゃないとか、こんな「本棚」は面白くないとか、本が好きなあなたは思うかもしれません。しかし残念ながら、この世界のほとんどの人は「本好き」ではありません。つまり、出版業界を精神面や文化的な要素ではなく「売上面」において支えているのは、特段これと言って本が好きでも大事でも必要としているわけでもない人たちなのです。いや、でした、と過去形にすべきかもしれませんね。

そして、10年前には想像もできなかった技術がいまはたくさんあります。10年かけてこつこつやっていれば、今頃は「仮想空間に展開できる無限の本棚」が大手チェーンだろうと地場の本屋だろうとカフェがついてるオシャレな本屋だろうと掘立て小屋の本屋だろうと、存在できていたかもしれません。その技術は(いまの私たちにすら)想像もできない、素晴らしい本屋体験をもたらすもの(のきっかけ)になっていたかもしれません。いまからでも遅くないのでやってみるといいのではないでしょうか。私にはIT系の知識はほとんどないので、だれかやってくれると助かります。

私が10年前に考えたものは、結局のところ「オレが考えた最強の方法」程度のものですし、実際に本屋をやっている身からすると「これは見通し甘いだろ〜」と思うものがたくさんあります。当然、これですべて解決だ!となることもないです。それでも確かに「ヒント」のようなものはあるでしょうし、もはやジリ貧となってしまった出版業界なのだから、打開策となりうる可能性のあるものはなんでも試してみるほうがいいとは思います。叩き台として活用してもらって、ああでもないこうでもないと夢と希望を語ってみましょうよ。“Break Through”(確か当時の日販の中期目標みたいなものだったはず)はいまから起きるんだぜ〜。

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同時に、現状の取次システムがなくなってしまった世界のことも考えていく必要があります。本屋lighthouse出版部がISBNをとらず、つまり取次流通には乗せずに直取引のみで本を卸売しているのも、その実践=事前練習=備えあれば憂いなし、だったりします。取次流通に乗せればもっとたくさん売れるはずなんですが、あえてそうしていません。たくさん売れなくてもやっていける仕組みができれば、という目標のもとに。

(本屋lighthouseおよび私個人の在り方に対して「経営的な目線がない」「まだ若いからね」といったことを(私には直接は言わずに)仲間内で言っている業界人の様子がかつては見られましたが、この取り組みを一例にして、私は私なりの視点・観点でもって「経営」を考えています。いまも昔も。最近はそういうのはなくなりましたね)

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という私怨のようなことを書いたのは、この話は「政治」の話でもあるからです。経営のことを考えろ、という話には「政治の話ばかりしていないで」という意識または枕詞のようなものが(直接言葉にはならずとも)付随しています。まるで政治的な事柄と経営が別のもの、無関係のものであるかのような言い方ですが、ホルムズ海峡の封鎖によってナフサが不足し、本の印刷・製本ができなくなる事態が差し迫ってきたこの頃、その考えに変化はありましたでしょうか? 取次が数年内に事業撤退するかもしれないという危機について騒いでいる私たちは、取次の流通拠点が火事にでもなって操業停止になる期間が1ヶ月でもあればその「崩壊」はいますぐにでも生じうるということを、認識しているのでしょうか? 戦争になればそんな事態はすぐにやってきます。戦争でなくとも、社会情勢の悪化に伴って当然引き起こされる劣悪な労働環境の悪化が進んでいけば、流通現場での大事故が起きる可能性も上がっていきます。そしてホルムズ海峡封鎖に関わる物資不足は、取次流通拠点で必要なものにも影響を及ぼし始めているはずです。危機は「数年内」の話ではなくて、すでに起きたあと、あるいはもう完了しているのかもしれません。

そもそも、社会情勢が悪化していること自体が「本が売れない(読まれない)」ことの根本原因です。金銭的な余裕、時間的な余裕、心身の余裕。この3つがなくなればなくなるほど、本という娯楽は選択されなくなっていきます。お金がなければ食を筆頭にした生存のためのインフラへの出資を優先するし、お金がなくて働きっぱなしで本を読む時間もない、金と時間の余裕はあるけど心身が不健康にさせられているから本なんか読めない。そこまでいかずとも、本というある種の「面倒な」「コスパがよくない」娯楽は、各種余裕が失われていく社会では徐々に選択肢から外されていきます。本や本屋に魅力がない(伝えきれていない)からではなく、魅力や読みたいという欲望を感じていても「それに割くための余裕がない」のです。本が好き!本がなくては生きていけない!なわけではないこの世界の大多数の人にとっては。

つまり社会情勢をよくすること、すなわち政治をまっとうなものにすることこそが、事態の根本的な解決には必須なわけです。ミサイルが落ちてくる恐怖を感じている最中に、本を買いに外出できますか? そんな大袈裟な話はすべきではない? では、毎日何時間も残業して疲れ切っている人が本を読もうと思いますか? グループ企業に配属されて鬱になりかけていた私はその頃、1ページも本を読んでいません。読もうとすら思わなかったよ。

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先ほどあげた3つの余裕。そしてそれによって引き起こされる事象が、知識の貧困です(金銭的・時間的・心身的・知識的の、4つの貧困と言い換えてもいいでしょう)。これらはすべて連関しているので、どれかひとつでもその状況に陥ると、ほかの貧困も連鎖的に生じます。知識がないと賃金の高い仕事を得られないし、肉体労働&低賃金で長時間働いていたら健康は損なわれるし、遊んだり勉強したりする時間もなければそのメンタリティにもならない。

そのようにして、あるいはそれ以外の様々な悪環境において積み重なったストレスは、自分よりも弱い立場にある存在へとその捌け口を見出します。人類というのはそういう生き物なのです。誰ひとり例外なく、多かれ少なかれそうしてしまう(意思によるコントロールは可能だが0にはできない)。その捌け口の対象が、各種マイノリティ(にさせられている存在)だったり、時には「老害」と名指される年齢の人々であり、時には「若者」と一括りにされる存在だったりする。そして「外国人」という存在が捌け口=敵として認識されたとき、戦争が起きる条件のひとつであり最も大きな条件が揃うわけです。

腐敗した政治権力は、自らの手にしているその権力を手放したくないというそれだけの理由で、自らの悪政を誤魔化すためのスケープゴートをでっちあげます。その対象となるのも上記の存在です。いまのこの苦しい状況は、すべて「あいつら」に原因がある! 追い出せ! 権利を取り上げろ! 殺せ! そうして放置される悪政と、各種の余裕のなさと他者への憎悪が臨界点を超えたときに始まる戦争によって、私たちの生活はさらなる悪化の道を辿るのです。生活の質の悪化というより、単に死ぬだけの可能性が高いですが。

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本屋lighthouseが、あるいは私が、政治と社会の話を積極的にしていること、差別に反対する意思を表明していること。その理由はこれで説明できたと思います。

そしてその実践は、「政治か経営か」「政治(の話)か業界(内部の話)か」「紙か電子か」といった二項対立的な選択をとるのではなく、「どっちも」であるということ。どっちも「現実」の話なので。逃避せずやっていきましょう。

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