忘れていくものの記録251027〜1109

読書日記
本屋lighthouse 2025.11.10
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10月27日(月)

 起きたら10時30分で、くそねむい。ねむみのきわみ。ねむみが商品になるのなら「きわみ」という名前で売り出すレベル。ひろこさんはiPhoneをゲットしに遠くへ行った。私はふとんから這い出し、近くの公園で父とキャッチボールをした。チェンジアップもカーブも少しものになってきた。しかし大事なのはストレート。肩甲骨の可動域を拡げたい。

 夜、富田ララフネ『Θの散歩』(百万年書房)のゲラをついに読み始めた。たくさんの本を読み、それが育児に影響を与えていくことについての小説。ということでどう考えても『迂闊〜』と共鳴するものがあるに違いなく、新刊のお知らせをくれた北尾さんのメールに即座に返信をしてゲラをもらったのだった。

 本を読み、引用され、思い出された過去が綴られ、それらが現在の生活に織り込まれていくその様は、まさに『迂闊〜』であり『プルーストを読む生活』であり、その源泉にある『失われた時を求めて』でもあるように思える。よき気分で就寝。

10月28日(火)

 ねむみのきわみ。ギリギリの時間で起床に成功。ひろこさんはまだ寝ている。炊飯器の表示を見たら昨夜スイッチを入れ忘れていることがわかる見た目になっていた。

 志津での勤務を終えて、次の用事まで時間があるので散歩をする。散歩してどこかで座って本を読むのは『Θの散歩』作中で主人公がずっとやっていることであり、私は主人公に同化するつもりで本を読んでみる。へんてこな遊具があり、かつだれもいない、つまり最高の公園があり、iPadをひらいてゲラを読む。ふと視界の端に動くものがあり、それは人影で、仕事中とも言えるがそうでもないとも言える様相の人が歩いていく、さらにその先に自転車で公園を横切るおそらくおばあちゃんがいて、なんとなくおばあちゃんを見ていたら私の視線を感じたのか公園と道路の境くらいのところで止まり、首をぐるりとまわしこちらを見ている。そんな気がするが50メートルは離れているので気のせいかもしれず、しかしおばあちゃんも同様に向こう岸の人間が自分を見ている気がするが気のせいかもしれず、とか思っていながらこちらを凝視しているのなら、それはコミュニケーションと言えるのか。作中の主人公はミトコンドリアが生命の細胞に棲みついた話をしている。私はその事実を知らなかったのでシンプルに驚いている。ひろこさんから駅のケンタッキーにいると連絡が入る。そういえば最近、ひろこさんの口から何度もケンタッキーという言葉を聞いていた気がする。ついに実行したらしい。

 おそらく作家や評論家がすでに何万遍も指摘していることなのだろうけど、日記から日付をとれば小説になるし、小説に日付をつければ日記になる、ということがこの本を読んでいると、というより『迂闊〜』を経由してからこの本を読むとよくわかる。『迂闊〜』から日付をとれば小説になるだろう。それを自ら体感し、理解し、発見したと感じられたことに意味がある。世界ですでに発見されていることでも、私の発見であることには変わりない。じゃあ日記を三人称で書いたら小説になるのだろうか。あるいはお客さんの目線で私を記述したら。それはもう完全に小説なのではないか。そんなことを考えながら歯を磨き、ひろこさんを待っていた。もう23時だった。

10月29日(水)

 目が覚めた本屋は虫になっていたらよかったのに、と思った。しかしまだ人間と呼ばれる姿形をしていて、となりにも同じ生きものが寝ている。早起きに成功した本屋は、絶望というよりむしろ気分がよかったかもしれない。

 本屋はお店につき、シャッターをあけた。パソコンをつけ、メールアプリを立ち上げ、Apple Musicでテキトーに曲を流し、棚へ向かう。珍しく選書サービスからの注文が入っていて、本屋は休みのあいだに思いついていた1冊を中心にして、そこから数冊を選んでいった。半年くらい注文がないと思ったらひと月に複数回くることもある。今回がそれで、選書サービスはそれなりに負担がかかるからこれまで特に力を入れてはいなかったものの、なにか変化を起こすべきときがきているのかもしれない、なるほどだから起き抜けにカフカのことを思ったのかもしれない、と本屋は考え、『変身』を選ぼうかと思ったが、カルテを見るにこの注文主ならすでにカフカくらいは何冊も読んでいそう、と思いやめた。しかしよく考えたら、そもそも在庫していなかった。再入荷手配をして、コーヒーを淹れにバックヤードへ行った。そのはずである。

 というのもこれは実際には28日の夜に続けて書かれたものであり、29日に私がするであろう行動や考えるであろうことを予測して書いている。願望も入っている。書かれたことがほんとうになされたのか、読者はわからない。どうやってもわからないのだ。この日記の書き手である私が「起きたこと」として書けばそれは起きたことになるし、その逆もまた然り。日記は簡単に嘘をつける。嘘かどうかは書き手本人にしかわからないし、本人もいつかわからなくなる。この文章もまだ28日夜に書かれている。ほんとうに?

 今日の売上は12243円だった。これは本当のこと。でももうだれも、これを100%本当だと確信することはできない。私は日記という形式が持つ信頼性≒ノンフィクション性を壊してしまった。でもノンフィクションが信頼に足るものだという根拠もどこにもないのではないだろうか。いまのこの「私」はどの私なのだろうか。日記というノンフィクションであるはずのものを書いていた私、「本屋」というキャラクターを俯瞰で書いていた私、あるいは「本屋」であるところの私、そのほかありとあらゆる「私」の可能性が生じてしまった。きっとそういうことを町屋良平は書いているのだろう。そろそろ読まなくてはならない。

10月30日(木)

【速報】テレ朝「スーパー戦隊シリーズ」放送終了へ(共同通信)

新たなスーパー戦隊を始めるしかないらしい。おふとん戦隊、ネムインジャー!!

おふとんレッド:寝坊で遅刻確定状態

おふとんブルー:憂鬱すぎて起きれず状態

おふとんグリーン:休日安心すやすや状態

おふとんピンク:起きたら夕焼け眩しいな状態

おふとんイエロー:起きても遅刻濃厚状態

おふとんブラック:一周まわって真夜中状態

おふとんホワイト:雪!?寒いわ俄然おふとん状態

10月31日(金)

 昨日に引き続きギリギリまで寝ていた。おふとんイエロー、に限りなく近いがイエローとまではいかない黄緑みたいな感じか。夕方から大雨予報で、期待せずでいたら結構来客あり。ハロウィンのことをすっかり忘れていたが、本日のファーストお買い上げとなったIさんが会計時に「ハロウィンなのでお客さんに渡してください」とベッコウ飴をくれる。お客さんに渡すものをお客さんに用意してもらう本屋。素敵だと思います。そういう話をそのあと何人かとした。

 昨日今日と来客がちゃんとあり、かつみんな話をしていくタイプだったので、ずっと喋り倒していた感覚がある。『Θの散歩』も読み終える。たぶん『迂闊 in progress 『プルーストを読む生活』を読む生活』を先に読んでいたからこそ、この小説を(さらに)面白く読めたような気がする。さらに言うならば、刊行に向けて制作中の『ホームページ』のゲラを何度も読んでいたからこそ、とも言える。おそらくこの3つの作品につながりを見出せるのは現時点では私だけなのだけども、なんというか、まったくうまく言い表すことができないが、なにか視界がひらけた、というような感覚。元気になった。帰宅時は今日も大雨だった。祝福されている。

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