忘れていくものの記録260824〜0906
8月24日(月)
ゆるゆると起き出して休日。日記を整理して配信。翻訳。
Why, it was really refreshing even to think of it; and so I straightway fell to picturing myself seated beneath a cocoa-nut tree on the brow of the mountain, with a cluster of plantains within easy reach, criticizing her nautical evolutions as she was working her way out of the harbour.
そのことについて考えていたらおれの気分がかなりすっきりしたのはなぜか。山頂にあるココナッツの木の下に腰掛け、簡単に手の届く距離に料理用バナナがたんまりとあって、港から出ていく最中のおんぼろ船を見ながら航海技術の進化について批評している、そんなおれのことがすぐさま思い描けちまったのさ。
だらだらと過ごして志津。発泡スチロールでできた「本」の備品を日野さんより預かり、回収。それを持ったまま電車に乗り込み、本を読むのはなんとも言えない気持ちよさがあった。真っ赤な「本」という漢字の70センチ大のオブジェを持っている人間が本を読んでいる姿、目に焼き付けやがれ!
今宵より「このまま閉店時にも売れ残ってたら返品できないな〜(返品了解とるの面倒だな〜)と思うものを出勤のたびに買っていく企画」を開始し、浜忠雄『ハイチ革命の世界史』(岩波書店)を買って帰る。読んでいたのはまだおしゃべりな脳の本だけど。
8月25日(火)
建築中のおうちを見にいく。建築事務所の人たちも来て、細かいところの仕様を決めながらもろもろ確認。ユニットバスが早くも到着&設置されていて謎の景色ができあがっていた。その後、父方の祖母が手術のために入院をしていて、その見舞いに行くというのでついていく。
今回も父は実の母相手になにを話せばいいかわからなくなり(昨年も同様の景色があった)、というか最初から特に話すこともなく、それは決して仲が悪いとか薄情とかといったことではなく、単にそういう関係性のなかでずっと生きてきただけのことなのだけど、やはりその光景ははたから見ていると面白くはあり、代わりに母がたくさん話している(正確には耳が遠くなっている祖母にも聞きとれる声で話すのがうまいから祖母も反応している)様子もその面白さに拍車をかける。案の定、見舞いを終えると父は「いつになったらお前が話してくれるのかと思ってた」と母に言い、母は「お父さんがまず話さないとと思って」というようなことを返し、私は予想通りの会話が繰り広げられるのを後ろで見ていた。帰りの車内でおしゃべりな脳の本を読み終える。「会話」はあまりできなかった父と祖母も、脳内ではたくさんの話をしていたのだろうか。
私たちは当初、声について、誤認された内言という側面にもっぱら着目していたが、いまやかなり違った見方に到達した。声が聞こえているとき、その人は、意思伝達したいという意図を経験しているのである。そうなると、「言語性幻聴」という言葉が誤った名称のように見えてくる。(p.250)
8月26日(水)
昨夜は元気だったので、ハイチ革命の本を読み始めた。
ハイチ史とくに植民地時代やハイチ革命の研究には、黒人奴隷たちが書き残した文字史料が得られないという困難がある。ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」の顰に倣えば、「黒人奴隷たちは語ることができない」のである。(p.21)
しかし、語ることができない=言語化できないことと「存在しないこと」は同じではない。本という、言語化されたものの塊、物体化したものを扱う仕事をしているからこそ、このことは忘れてはならないだろう。昨日の祖母はうまく話ができる状態ではなかった。それでも彼女のなかにはなにかがあり、生まれ、渦巻いていたはずだ。その証拠に、介護職である母はそれを引き出していた。内言とサバルタンがつながっている。
この日の朝から日曜日まで、ずっと朝起きれず午前中を溶かしていた。疲れが溜まっている。どちらかというと脳の。あるいは心の。