香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未
香港への引越しをきっかけに広東語を学び始めたら、なぜか釣竿をゆずりうけ、釣りをはじめたらいつの間にか、ある釣り友達の夕飯を釣りにいくのが暮らしの楽しみになっていた筆者の釣り&語学の魅力にせまる香港探索エッセイ。
釣りと戦争
魔鬼山(もうぐわいさん/デビルズピーク)という山が香港にある。鯉魚門(れいゆうむん)海峡をのぞむこの山は、もともとは海賊の拠点で、1900年に英国が要塞を建ててからは重要な軍事施設となった。第二次世界大戦中には日本軍が占拠し、今でもその要塞跡は残っている。雨ざらしで、朽ち果てているコンクリートの塀や隠された洞窟は空に浮かぶ異空間のようで、天空の城ラピュタを彷彿とさせる。香港の島々と海を見晴らせる頂上からの景色は壮観だ。第二次世界大戦で日本軍はこの要塞を陥落させ、香港島に攻め入り、想像を絶する破壊を行った。軍人だけでなく、医療従事者を、市民を、殺し、あらゆる方法で虐待した。わたしは山登りが好きで、頻繁に香港の山に遊びに行くのだけれど、この山は子供たちと数時間で頂上まで辿り着けるので、よく訪れる。いつも色鮮やかな蝶が飛び交っている。ひび割れたコンクリートの見張り穴から海を見つめるたび、思わずにはいられない。兵士たちはどんな気持ちで、この同じ穴から、この海を見たのだろう。
花おじいちゃんと毎週釣りをするようになって3ヶ月くらいが経った頃、おじいちゃんから「秘密の釣り場に行こう」と言われた。その釣り場はこの山の近くだった。いつもと同じクロックスにリュック、トートバックにバケツハットという出立ちで現れたおじいちゃんは、ひょいと手を挙げて歩き出した。急な坂道をずいぶんと登ったところで立ち止まり息をつくと、ガードレールのずっと下に、白く泡立つ波が見えた。おじいちゃんが急に振り向いたので何事かと思ったら、「70歳代!」と胸を張って年齢を教えてくれた。わたしは思わず噴き出した。
それから彼はガードレールの真下を指差し、「あそこで釣る」と言った。その指の先を見てみると、確かに岩場はある。けれど、あんなところまで降りれるわけはない。お茶目な冗談を言っているのだと思い、大笑いして「好啊,好啊(OK OK)」と流していたら、彼は少し先にある「管理者以外立ち入り禁止」の看板のかかったフェンスのドアを開けようとしている。そのドアから細い通路が崖に向かって伸びているけれど、崖下に続く階段はない。「おじいちゃん、鍵かかってるし、立ち入り禁止だよ」。本気であの岩場まで行くつもりなの? おじいちゃんはあきらめずに、鍵のかかったドアをガチャガチャやっている。するとそのとき、作業服の男性が通りかかった。ああ、絶対に怒られる。おじいちゃん、やめてくれ。必死に祈っていたら、作業服のおじさんと目が合った。おじさんは真顔でわたしに近づき、物知り顔で頷いて、なぜか鍵を開けてくれた。わたしは「唔該(ありがとう)」と言ったけど、頭の中ではクエスチョンマークが渦巻いていた。なんで開けるのだ?? しかもこの流れだと絶対崖を降りなきゃいけない感じだ。ウヒョーー!!! どうしよう!!!
花おじいちゃんはお礼も言わず、釣り人のために鍵を開けるのはしごく当然と言わんばかりの顔で、扉を開けて先に進んでいくので、わたしは急いであとを追った。思ったとおり、けっこう簡単に崖の上までは出れた。あまりの高さに、足がすくみそうだ。けれどおじいちゃんはさっさと崖の先端へと進んでいく。
案の定、崖下への階段はなかった。けれど、崖の岩が天然の階段のようになっていた(と自分に言い聞かせた)。心を落ち着かせ、おじいちゃんの後について少しずつ降りた。右に左に慎重に体の重心を移しながら、足をつけることが可能そうな面を見つけ、恐る恐るおろす。恐ろしかったけれど、おじいちゃんがクロックスを履いてこの場所に何度も釣りに来たのだから、ハイキングシューズを履いているわたしは絶対に大丈夫だと呪文のように頭の中で繰り返した。おじいちゃんはときどき振り向いて、「この枝は握っちゃいけない」とか「ここに足をつけて」とか指示を出しつつ、淡々と降りていく。ゆで卵とバナナがしこたま詰めてあるだろうトートバッグと、釣り道具の入ったリュック、2本の釣り竿を背負っているというのに、なんであんなに身軽なんだろう。忍者みたいだ。
岩場まで降りると、おじいちゃんはちょうど机のように盛り上がっている岩に荷物を置いた。海が近い。海の中に古い石の柱の名残のようなものが突き出ている。波が足元まで寄せてくる。崖の岩肌にぶつかった波が白い泡を立てて引き返していく。小さな渦を作りながら。今までは埠頭でしか釣りをしたことがなかったけど、もしかして、これは噂の磯釣りではないだろうか。そう思ったら、一気にテンションが上がった。ずっと磯釣りには憧れていたけれど、危険そうでハードルが高く、やってみようと思いもしなかった。こんな場所、自分一人じゃとても辿り着けなかった。
おじいちゃんが釣り竿を用意し始めたので、わたしも釣り竿を出した。おじいちゃんからもらった赤い釣り竿だ。けれどおじいちゃんが「違う、今日はこっちを使う」と言って灰色の綿袋から黒い釣り竿を取り出した。こちらも振り出し式だけれど、リールの取り付け部はなく、釣り竿の本体に何重にも釣り糸が巻かれ、ハリ、浮き、錘も一緒に収納されている。伸ばしていくとかなり長い。5メートルほどの「のべ竿」だ。竿が長いぶん、わたしのような初心者には扱いが難しい。餌をつけるだけでも一苦労だ。仕掛けは、浮きの下にハリが3連、そして小さな錘が付いている。餌はオキアミだ。海に落とし、浮きが沈んだらひょいと竿を上げる。もし魚が食っていたら、結構な力で引っ張らなければならない。いざ釣り始めると、自分の思うところに餌を落とすのも難しかった。風向きや風の強さに合わせて調整しないと、意図しないところに落ちるし、引き上げるときもハリがジーンズに引っかかる。「釣りは、やればやるほどわかる」とだけおじいちゃんは言って、かなり危なそうな岩場に歩いていった。わたしたちは一緒に釣りに行くけれど、隣に並んで釣ることはほぼない。いつも数メートルは間隔を空ける。違う岩の裏で各々釣り糸を垂らすときもある。
仕掛けを落とすと割とすぐに、浮きがググッと沈んだ。きた! 思い切り釣竿をあげてみる。すごい引きだ。大物?? さすが磯釣り!と期待したけれど、どんなに力をいれても、びくとも動かない。「卡咗(かっじょう)」花おじいちゃんの声がすぐそばで聞こえた。「根掛かり」だ。海底の岩を釣ってしまったらしい。通常ならラインを緩めてピンピン、と弾いて取るけれど、この竿にはリールがなく、今出ている分でいっぱいいっぱいの長さなので、緩めようがない。ラインを切るしかないのか? ハリと浮と錘もろとも?? それにしてもおじいちゃん、いつの間にこんなに近くに来ていたんだろう? おじいちゃんはわたしから竿を取ると、海に近づき、取手を根がかった辺りの水面に入れ、くるくると竿を回した。まるで魔法使いみたいだ。いとも簡単に仕掛けを回収し、ハリが曲がっていないか、位置が変わっていないか確認してオキアミをつけて返してくれた。ついでに喉が渇いただろうと、自家製の鉄観音茶が入ったペットボトルまで持ってきてくれている。
おじいちゃんと釣りをするとき、かなり頻繁に、おじいちゃんは忍者なのだろうかとか、魔法使いかもしれない、と思う。わたしの喉が渇けばペットボトルを持って横に立っているし、餌がなくなりそうな頃合いで補充をしに来るし、釣れた魚からハリがなかなか外せずに四苦八苦してるときはすぐ後ろにハサミを持って立っているし、大きなハチがオキアミを狙ってくるときはその同じハサミでハチを次から次へとぶった斬るし、食べれるカタツムリとその食べ方を知っているし、今は釣れないと言えば釣れず釣れそうと言えば釣れるし、いつもはそれがワクワクするのだけれど、魔鬼山に近い場所だったからか、ふと、時代が違えばおじいちゃんとわたしは敵同士だったんだという思考が頭をよぎった。おじいちゃんはきっと、上手に背後に忍び込んで、わたしを殺せるだろう。忍者みたいで、自然のいろんなことを知っていて、魔法が使えるんだから。
おじいちゃんから竿を受け取り、海面の浮きの動きを見ていたらふと、数日前に読んだあるニュースを思い出した。
ガザの海で魚を釣っていた人が、イスラエルの攻撃で殺されたという記事だ。その人は、釣りをすれば自分の命を危険に晒すことを知っていた。けれど、釣りをせずにはいられなかった。なぜならば、ガザへの食料や医療物資、ほぼ全ての日常必要品の搬入が禁じられ、食べ物がなかったからだ。「小麦粉が配給されると聞き配給所に向かう途中でたくさんの人が殺された」「やっと手に入れた配給の小麦粉に薬が混入していた」「小麦粉を受け取りに行ったまま子供たちが帰ってこない」。そんな中でも、広い、豊かな海は、目の前に変わらずにある。釣りをせずにいられるだろうか。釣竿は持っていたのだろうか。作ったのだろうか。海面に目を凝らした。日本でも戦時中は、魚釣りは不謹慎だとされたそうだ。香港にいた日本軍は、釣りをしようとした香港の人たちを殺したのだろうか。釣竿を手に、魚の釣り方を学ぶ。釣った魚を持ち帰り、夕飯にする。それだけのことだ。それだけのことが、命をかけてもかなわない、そんな海が目の前に広がっている。
この海は、あの海と繋がっている。魚を釣ったら、殺される海だ。
その日は、アイゴがたくさん釣れた。日本では内臓の匂いがきつく、ヒレに毒があるからあまり人気はないらしいけど(釣りの本では気をつけるべき有毒魚として紹介されることが多い)、香港ではお粥に入れて食べるそうだ。おじいちゃんとランチの交換をしていたら、「日本は好きか」と聞かれた。この質問は日本の外に出ると頻繁にされるのだけれど、わたしはあんまり、その質問への答え方がわからない。なんでかな。好きなところもあるし、嫌いなところもあるけれど、あまり「国」が好きか嫌いかという感覚がないからだと思う。人は人だし山は山だし海は海だ。だけど、国ってなんだろう? 「わからない」と答えるとおじいちゃんは、「香港は好きか」と尋ねた。なぜかこの質問には、「好き」と即答できた。「香港はいいか」とおじいちゃんが言うので、「うん、香港に住むの好き」と答えた。おじいちゃんは何も答えずに無表情でうなずき、わたしの作ったスパムおにぎりを頬張っている。
おじいちゃんの魔法使いの手は、忍者の足は、時代が違えば、わたしを殺すために使われていたかもしれない。だけど今、この時代にこの場所で出会ったわたしたちは、同じ海で釣りをしている。わたしの手と足も、人を殺すためには使われていない。直接的には、少なくともそうだ。だけど、この海があの海と繋がっていて、この海があの時代の海と同じ海ならば、わたしだって繋がっていて、同じなのかもしれない。この指先に触れずとも、遠い海の先、その釣り竿をにぎるあなたを、目を閉じて感じようとすることはできるはずだ。
戦争反対。虐殺反対。

吉田育未(よしだいくみ)
佐賀出身。大学で米国留学をしてから10年ほどを北米で過ごし、現在は香港在住。広東語を学ぶ目的ではじめた釣りを通して、様々な魚や人たちと出会う。時間をかけたいものは、読書、散歩、そして釣り。教師や翻訳家として働く時間も大切。
翻訳担当書籍
エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)
エマ・ドナヒュー『聖なる証』(オークラ出版)
アリス・シャートル/ジル・マケルマリー『リトルブルー』シリーズ(出版ワークス)
ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(オークラ出版)
デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(作品社)
ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』(左右社)
アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』(早川書房)
トーリ・ピーターズ『ディトランジション、ベイビー』(河出書房新社)
など
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