忘れていくものの記録260427〜0513

読書日記(タイ・ラオス旅行記あり)
本屋lighthouse 2026.05.22
誰でも

4月27日(月)

 ぐっすり寝て起きる。朝ごはんを食べながら『氷の城壁』のアニメをひろこさんと観る。観ていたら晴れてきたので洗濯物を外に出す。日記を書いて、メルマガにまとめて配信し、翻訳。すでに昼になっている。

His prompt reply to all complaints and remonstrances was—the butt-end of a hand-spike, so convincingly administered as effectually to silence the aggrieved party.

おれたちの不平と抗議に対する船長の迅速な返答はこうだった。棒でぶん殴る。その説得力ある返答を何度もされることによって、被害者であるおれたちは手際よく黙らされちまったのさ。

 実家に寄って来週からの来週からのタイ・ラオス旅関連で父と打ち合わせ。わんころが変な寝方をしていたので写真を撮ってひろこさんに送る。帰宅して昼ごはん。気圧の変化が激しいのか頭が痛いので昼寝。起きて志津。大雨。

そもそもプルーストには女を描けないのではないか、そんな批判をする作家や批評家はあとを絶たない。しかしプルーストにその筆力が欠けているのではなく、恋愛の対象がぼやけているのは恋心のひきおこす必然なのである。(p.692)

 恋の対象がぼやけるというのは『恋の幽霊』における、つち、しき、きょう、あす、の関係でも「わたしたち」という複数形の主語によって語られたもので、個人ではなくその個人が属する集団を好きになってしまうという状態が、プルーストにおいてはアルベルチーヌが属する集団に対して向けられていた。少し違うのは、アルベルチーヌたちは「私」に対して恋の身体になっていなさそうなこと。ざんねん。ついに4巻読了。

4月28日(火)

To whom could we apply for redress? We had left both law and equity on the other side of the Cape; and unfortunately, with a very few exceptions, our crew was composed of a parcel of dastardly and mean-spirited wretches, divided among themselves, and only united in enduring without resistance the unmitigated tyranny of the captain.

おれたちは誰にこの不正を正せと言えばよかったのか? おれたちはケープ州の反対側に法と公正さを置いてきてしまったし、不幸なことに、卑劣で狭量な人でなしの乗組員ばかりで各々仲は悪く、船長の激烈な専制に対して抵抗することもなく耐え忍ぶときにだけ団結する、そんなクソな例外的状況に陥っていた。

 ひろこさんは午前中シャカリキに働くというので、私はひとり、ボールをよく見てバットを振る練習に。引っ張ってライナー性の打球にするのはうまくいく日。ショートの頭を超えていく打球は不発。帰宅して読書。文学は割に合う日々。

かくして、遅さを擁護するときとなりました。遅さとは、無気力、怠惰、無関心のことではなく、言語と文学と読書に対する長期的投資において遅いという意味であり、聖王ルイの「察するレトリュール」、そしてアルドゥス・マヌティウスの「ゆっくり急げ」という格言に含意されているものです。(p.155)

したがって、最良でもっとも人間的で、説得力があり、治療技術も高い医者になるための一環として、プルーストが医学部で読まれているのです。(p.173-174)

 文学は健康によい、という話のなかでもプルーストが出てくる。丹渡さんが(そして柿内さんが)プルーストを読むことで「たのしい/うれしい」時間を過ごし、その後の生活の方向性を変えることになったのも、そういうことなのかもしれない。

 シャカリキ状態から抜け出せそうで抜け出せないでいたひろこさんを椅子からひっぺがし外出。外出と言いながらすぐに家から徒歩5分のラブホに入り、あたたかいお湯に浸かりセックスし夕方のEテレを観てうまいめしをたらふく食って帰った。最近の我々にはこういう無用な時間が足りなかった。意味のあることをしすぎている。生活は割に合わなくてよい。

4月29日(水)

It would have been mere madness for any two or three of the number, unassisted by the rest, to attempt making a stand against his ill usage. They would only have called down upon themselves the particular vengeance of this “Lord of the Plank,” and subjected their shipmates to additional hardships.

船長の邪悪な指示に対抗しようなんて試みは、誰からも助けを得られなかった者らにとってはただの狂気に過ぎなかっただろう。かれらは「厚板の神様」による特別な復讐がかれら自身に起こるように祈り求めていただろうし、仲間たちにさらなる試練を受けさせたいとも思っていただろう。

 『灯台守の話』関連で白水社の編集さんたちと訳者の岸本さんが来店。灯台とカモメのスタンプを用意してきた岸本さんがサイン本に捺印するも、どこかについていたインクが本のいろんなところについて「え!? どこ!?」と混乱していておもしろかった。『灯台守の話』は買切仕入れに協力してくれた本屋たちのおかげで重版できているので、自店だけサイン本があるのはどうにも居心地が悪く、そもそもサイン本がある/作ってもらえるのは都市部の本屋になりがち問題に自分から加担したくもない。しかし岸本さんはサイン本を作る気で来ているし、その気持ちを無碍にするのも変な話なので、岸本さんが関わっているほかの本にだけサインを入れてもらったのだった。私は色紙も自分からは要求しないし、人によっては物足りなさというか、歓迎されていないのではないかと不安に思うこともあるかもしれないが、私には私の通したい筋があり、その哲学のようなものから外れるよりは他者からネガティヴな印象を持たれるほうがよい、というこれまた筋のような哲学のようなものを優先している。

4月30日(木)

But, after all, these things could have been endured awhile, had we entertained the hope of being speedily delivered from them by the due completion of the terms of our servitude. But what a dismal prospect awaited us in this quarter! The longevity of Cape Horn whaling voyages is proverbial, frequently extending over a period of four or five years.

しかし結局のところ、おれたちに課された強制労働の満期がやってきてそこから速やかに離れられる、そんな希望を抱きながらこれらの苦難はしばらく耐え忍ばれるべきだったのだ。だけどこの先3ヶ月のおれたちを待ち構えていたのは悲惨な見通しってわけだ! ケープ岬周辺での捕鯨に従事する期間は、よく言われるように4年も5年も引き延ばされるのが常ってもの。

 昨日の売上が調子よかったので今日は期待せずで開店。実際に来店数は少なかったものの、常連さんが数人来てくれて連休中日の平日としては悪くない数字に。集中して作業もできたので満足。しかしなにもかもが終わってはいない。継続中。

 世界がクソな状況になっていて、そこに直球の抵抗をし続ける日々だからこそ、文学が世界を変えるという間接的な方法への信念も同じ強度でおのれの身体から放出されている感覚がある。いや、そう思いたいだけかもしれないが、そう思いたいという気持ち、期待、想念、そういったなにか無形で荒唐無稽なものこそを強く持ち続けていなければ、この世界で生きていくことはつらく苦しいものになる。だから文学を、文学をもっとくれ、という欲求に身を任せて最近はひたすら文学に耽っている。荻世いをら『彼女のカロート』(フィルムアート社)。冒頭数ページでわくわくした。半分くらい読んで燃え上がっている。Readsに記録なんかしている場合ではない。しかし風呂にも入らねばならない。時間が足りない。戦争をいますぐ止めろ。

5月1日(金)

 朝から強烈な雨が降っていてお店に行くのが躊躇われるも、止む気配がないので諦めて出る。オープン前に止み、しかし開店作業を色々やっても寒く、素振りまでする羽目に。寒い。3.5%の人々によって社会運動が生じれば社会は変わる、という回答を導き出したエリカ・チェノウェス『市民的抵抗 非暴力が社会を変える』(白水社)を紹介しつつ開店。客数は多くないものの単価がそれなりに高く、最終的に3万円をこえて終了。マリーンズの試合を当社比で久しぶりに視聴したら大敗した。観ていないと勝っている。

Some long-haired, bare-necked youths, who, forced by the united influences of a roving spirit and hard times, embark at Nantucket for a pleasure excursion to the Pacific, and whose anxious mothers provide them with bottled milk for the occasion, oftentimes return very respectable middle-aged gentlemen.

長髪だが首は剥き出しの、放浪の精神と厳しい時代の影響を受けた若者たちが、太平洋に繰り出す楽しい小旅行のためにナンタケットで乗り込んで来るのだが、かれらを見る不安げな母親たちがこのときのために用意したボトル入りのミルクをかれらに渡していて、その代わりにしばしば上品な中年の紳士が下船している。

5月2日(土)

The very preparations made for one of these expeditions are enough to frighten one. As the vessel carries out no cargo, her hold is filled with provisions for her own consumption.

これらの小旅行のためのなされた入念な準備は、ひとを怖がらせるのに十分なものだ。船が積荷もなく出航するので、船倉には船自身が食べる食料しかないように思えるのだ。

 ここからの3日間でどれだけ稼げるか、がタイ・ラオスでの1週間を居心地よく過ごすためのポイントになる。ということを考えてしまう時点でだいぶイヤ。はたらかないで、たらふく食べたい。四国から親子連れが来店し、高校生の子供がいつか本屋をひらくのだと言って名刺をくれた。10年前の私がいてうれしかった。はじめての名刺は手描きだった気がする。平和を維持しなくてはならない。『彼女のカロート』表題作を読み終える。もしかしたら映画『落下音』とつなげて考えることもできるのではないか、という直感というほかない直感が残った。どこから来ているのかがわかってもなお残る恐怖。

5月3日(日)

 たべっ子どうぶつ THE MOVIEを観る日。映画公開1年記念を勝手に祝す。丹渡さんと、丹渡さんと同等かそれ以上の強火ファンであるHさんが来店。

 アイドルグループであるたべっ子どうぶつたちは当初「ぼくたちはみんなを楽しませることしかしてきてないから、たたかうなんてできない」というようなことを言って尻込みするが、結局たたかいにでるし、しかも非暴力を貫徹しながら悪を倒すことになる(さらに重要なことに、その悪も存在ごと絶滅させられるわけではなく、改心への道筋が整えられている)。完全に社会運動の話だった。少なくとも、いま、そして5月3日の今日、各地で平和のための集会がひらかれているまさにその日には、希望を提示する物語であるとしか思えないのだった。つまるところ激アツ。アメイジングビスケット、バターフレーバー。

 なお、来年の2周年に向けて丹渡さんと『たべっ子どうぶつTHE MOVIE』のファンブック的なものを作る計画が立ち上がった。『ユリイカ2027年5月号 特集:たべっ子どうぶつ』が刊行されるよりも先に我々がやらねばならない。たべっ子どうぶつガチ批評。世界はやはり平和であるべきだ。

5月4日(月)

 文フリ出店。今日はひろこさんもついてくる。前夜から強風で、雨はどうにか止むも海浜幕張駅に着いたら電車がとまっていた。父親が出勤日だったのでタクシーを私的利用。運賃分このあと稼ぎまくらねば、とか思ったり思わなかったりしていたら東京ビッグサイトだった。

 設営スタッフが深夜から働きすぎているのかほとんどボランティアの出る幕がなく暇を持て余しており、ビッグサイト内部から見える東京湾の汽水域と思しきものを見ながらくつろいでいた。ひろこさんは豆豆しいおにぎりを食べながら4階フードスクエアのハンバーガーメニューと睨めっこ。文フリのカタログは見ていない。設営完了、開場前にいくつかブースを回る。手にしておきたいものを最低限確保してブースに戻り、ひろこさんと店番。ひろこさんがあくびをするたびに誰かが本を買っていく感じがあり、あくびをしろ、もっとあくびを、と要求し続ける。途中、クレオさんも合流してひろこさんはハンバーガーをゲットしに上階へ行くも、目の前で「オーダー終了」の札を出されたとのこと。

 売上はまあまあ。購入時に色々と話をしてくれる人が多く、毎回人に会いに来ている感が強まっていることを今回も感じる。片づけを終えてとなりの広場、おそらく前日に憲法集会が開かれていた場所へ移動。すでに最高の社交空間が柿内さん&シャーク鮫くんと参加者によって作られていて、遠目から見てもチルってた。ピクニックは命の洗濯。たくさんの大人たちがひとりの子供の投げるフリスビーに振り回されている景色は平和そのものだった。

5月5日(火)

 必死の起床で9時に起きだし、昼頃にひろこさんとお店へ。もろもろ片づけと発送作業をして、父がデジタル入国カードの作成をしにきて、それも終わってだいたい15時。帰宅して旅の準備。ひろこさんのドラクエも少々進む。

 海浜幕張からバスで羽田。深夜1時過ぎの飛行機に乗るため、3時間ほど羽田で待ちぼうけ。23時にはすでに眠い。そしておなかがすいている。搭乗してすぐにおやつ、チョコ抹茶マフィンとナッツの小袋が配られ、私はそれをすぐにたいらげた。ひろこさんが乗り移っているのかもしれない。2時間ほど寝れたと思う。起きて朝ごはん。のり弁。となりの人はポーチドエッグ風ラタトゥイユみたいななにかにしていたが、半分くらい残していた。私は完食。とにかくよく食べるのが大事。タイもラオスも暑い。早朝6時頃バンコク着。

5月6日(水)

 バンコク・スワンナプーム空港からドンムアン空港へ。バスで1時間くらい。明らかに乱暴なのにスムーズに車線変更していく車たちを見ることでここがタイであることを認識する。今日は堂々と路肩を走り抜けていく車たちの列が見れた。3車線に4列。

 ドンムアンでも待ちぼうけ。13時過ぎの飛行機まで空港の外や中を散策。父は40年前に来たときの記憶を辿りながら歩いていた。空港内のローソン(が最近進出してきたらしい、前はセブンばかりだった)でLチキらしきものとエビ焼売を揚げたものを食す。どちらも串に刺さっていて、Lのほうは非常にスパイシー。ひろこさんに写真を送ったらよろこんでいる。代わりに豆豆しいカレーが送られてきた。

 ドンムアンから飛行機でラオス・ルアンパバーンへ入国。機内食のプラントベースなんとかカレーはまさにタイ米!というパサパサ加減で大興奮。ひろこさんに送ったらカレーおそろでよろこんでいる。入国審査で白人のおばあちゃんに堂々と割り込まれたりしながら無事に外に出て、乗合タクシーでホテルへ。メコン川とその支流に挟まれた場所にあるホテルの部屋からは、支流の様子がよく見える。荷物を置いて再度外出、夕方のルアンパバーンを散策。プーシーの丘に登る。2年前のタイを思い出していた。こうやって歩き回った(より正確には上り下りした)結果、父は熱中症になり寝込んでいる。今回は果たして。川のあるよき風景や寝転んでいるわんころなどを見つけ満足しホテルへ戻る。

少し休憩して夜ごはんを食べに外へ。プーシーの丘の下で開かれているナイトマーケットで父は浮かれたシャツを購入。おそらくパチモンであろうノースフェイスの帽子も激安で入手。ラオスの通貨は1万キープで70円くらいらしいが、紙幣が1000キープから10万キープという大きさで(硬貨はないらしい)、値札を見るとすべての桁が大きすぎて感覚が掴めない。ナイトマーケットやごはんどころなどでお金を使いながら感覚を徐々に掴み、帰路。あまりお湯にならないシャワーを浴びて寝る準備。日記を書いて寝る。コンラッドの『ロード・ジム』ももう少し読み進めたい。ひろこさんからは夕食用に買った「わんぱく串串セット」なるものの写真が送られてきている。アメリカンドッグ、ハリケーンポテト、フランクフルト串、鶏もも唐揚げ串、とラベルには書いてあるようだ。

5月7日(木)

 コンラッドは2ページ読んで寝た。限界。6時前に起きて朝市へ行ったりごはんを食べたりした。8時に象使いになれる魔法学校の人が迎えにきたので車に乗る。途中、舗装されていない道が続いてスリリング。

 象のいる川辺に辿り着いて、「I AM MAHOUT(私は象使いです)」と背中に大きく書かれた厚手のシャツに着替える。まだ象に乗っていないどころか姿すら目にしていないのに象使いになれてしまった。バナナを一房持って川辺へ。まずごはんを食べてもらって機嫌をとり、あるいはなかよくなり、そのあと背中というより正確には首に乗る。背中には本物の象使いが乗っている。いわゆる観光客向けの象乗り体験では椅子などが背中に設置されそこに乗ることになるが、今回は直接象に乗る。そのため太ももで象の首というかなんというかを挟んでいないと横揺れで落ちる。内転筋が痛くなってくる。水牛がいたり、木陰に待機している別の象たちが駐車場にぴったりハマっている車みたいだとか思いながら数百メートル進み、最後は象ごと川に入ってじゃぶじゃぶ。久しぶりに冷たい水に腰から上まで浸かり、新鮮に驚く。象は全身潜っている。写真を撮ってくれるというのでスマホをスタッフに渡していたら、写真フォルダが大量の写真と動画で大変なことになっていた。充電も一気になくなっている。ひええ。

 というのが一度目。着替えて待機所でコーヒーを飲んだりビュッフェを楽しんだりして、午後にもう一回象に乗る。二度目はさっきより長いコース。スマホは渡さない。やはり水牛、そして駐車している車みたいな象たちを視界に収めつつコースをまわり、しかし一度目に感じた内転筋の痛みは今回はまったくなく、身体が象の揺れに対応したからなのか今回の象の揺れがちょっと違うのかとにかく理由はわからないが、私の身体と象の身体の浸透具合は高まっていた。だからなのか、今回の象は川に入るのを少し躊躇したり、入ってからも水に身体をうずめる動作を嫌々ながらやっているかのようだった。私が泳げない(からどこかで水そのものを怖がっているのかもしれない)ことを知っているかのようだった。町屋良平の小説みたいだ。

 象のあとはボートに乗っていくつか名所をまわってからルアンパバーンまで帰るのだけど、そろそろボートに乗るかというタイミングでスコールのような雨と突風がやってくる。「来る」というのが数秒前にわかる、そういう雨と風。雨は降っていたものの風は止んだのでボートに乗る。洞窟、ウイスキーを作っている村などをまわり、帰路。明日からの船旅の予習のような数時間となった。

5月8日(金)

 6時前に起きて朝ごはんを確保し、ホテルのロビーでピックアップを待つ。雨。到着した乗合タクシーの荷台にはすでに6人ほど乗っていて、父と乗ったあと別のホテルでも5人ほど乗らされ、鮨詰めに。メコン川を北上する船の乗り場に到着。やはり雨。無事出港するか少々不安。待合所には鶏らしき鳥類が3羽ほど。ほどなくして乗船指示。雨は降っているがほぼほぼ定刻通りに出発。

事実に即した自分自身の陳述を聞きながら、すでにはっきり抱いていた、言葉などもう自分には役に立たないのだという思いの正しさを改めて認めた。あそこにいる男は、僕の抱えているどうしようもない困難がわかっているみたいに見える。ジムは男を見て、それからきっぱり、最後の別れを告げたあとのように目を逸らした。

 そしてその後、何度も、世界の果てのさまざまな地で、マーロウは自ら進んでジムを思い出すことになる。長々と、詳しく、口に出して思い出すことになる。(p.47)

 難破船の乗組員だったジムは犯罪者のように裁判に参加させられ尋問を受けている。おそらくジムはPTSDのようななにかになっているのかもしれず、そのかれの「言葉」を代わりに発するマーロウ=語り手という構図が導入されるこの場面、痺れる。その後も読もうと思うが、疲労のせいか船の揺れがちょうどいいせいか、とにかく終始非常に眠く、寝ては読み寝ては読み、岸にいる動物たち、主に水牛と思しきものらを見るなどしているほかない。

外国行きの郵便船が午後に着いて、ホテルの大きなダイニングルームは、ポケットに世界一周百ポンドの切符を入れた人々で半分以上埋まっていた。旅行中なのに、家にいるのと変わらずたがいに相手に退屈している様子の夫婦が何組もいた。小さなグループがいて大きなグループがいて、一人で重々しく食事している人物がいれば騒々しく美食に舌鼓を打っている者もいたが、誰もがみな、ふだんの暮らしと同じように考えたり喋ったり冗談を言ったり顔をしかめたりで、新たな事物を知的に取り込む度合たるや、上の階に置いたトランクと変わらなかった。(p.106)

 なんだか色々なことを考えようと思ってはいたものの、とにかく眠くなにも考えられない。水辺の町という共通項を持つタイ・サンクラブリーでは鳥の鳴き声がいたるところで聞こえてきた記憶があるけれども、ラオスでは鳥をほとんど見ない。首から下げた鐘をならす水牛ばかり見ている気が……と考えたところで、カウベルってそういうこと?となる。調べる気力もない。眠い。

 結局9時から18時過ぎまで船に乗っていて、ようやくパークベンという名の村に着く。下船してゲストハウスを見つけ、夕食へ。ラオスカレー。具材を2つ選べとあるのでバッファローと豆腐の組み合わせを選択。うまし。向かいのグループが食べ終わり、すると黒猫が机に飛び乗り食器をぺろぺろ。満足してこちらにきて、椅子に座って待っている。このお店のカレーがうまいことを知っているのは人間だけではない。

5月9日(土)

彼は私に話していたのではなかった。私の前で、見えない人格と議論を戦わせていたのだ――己の中の、自分と敵対する、しかし不可分の相棒、己の魂を等しく所有しているもうひとつの存在と。これはとうてい、法廷の尋問などで扱いうる事柄ではない。それは生の本質をめぐる微妙にして重大な論争であり、裁判官などお呼びではなかった。彼が求めていたのは同胞であり、助けてくれる人間であり、共謀者だった。(中略)。私は何だか、想像しえないものを把握し理解するよう求められている気がした。(p.127-128)

 昨夜、どうも体調が悪い気配があり夜中に薬を飲んだ。起きたらだいぶよくなってはいるが、頭痛のタネが明らかに残っている。旅先では卵と乳の摂取量をコントロールしきれないため、アレルギー由来の頭痛になりやすい。そしておそらくおなかの調子も悪い。という状況で今日も船に乗り、やはり1日ずっと船の上だった。昨日より乗客も少なく、椅子を4人分使えたためほとんど寝そべって過ごす。寝ては本を読み、本を読んでは寝た。ラオスとタイの国境にある町、ファイサイに到着。

 乗合タクシーでゲストハウスのあるあたりまで行く。同乗した欧米人グループは船も二日間同じで、その時点で薄々勘づいてはいたが、「アジア人の存在を無視する」タイプのアレで、タクシーを降りる最後の最後にそれを突きつけられ、なんとも言えない後味の悪さ。ゲストハウスの前にあるお店でヌードルスープを食べる。やはり量が多い。しかしおいしいので食べてしまう。ひろこさんが乗り移っているかもしれない。なお、ひろこさんも微熱症状が出ているらしい。

5月10日(日)

 結局今日はおなか、というより胃の様子がおかしく、ファイサイから友好橋を車で渡ってタイ・チェンコーンに入ってゲストハウスを見つけてから、おおむね部屋で横になっていた。メコン川の向こうにはファイサイがあり、入国審査といった手続きがなければ渡し船で行ける距離だ。やはり国境は廃絶したほうがよい。

 しかし移動そのものは好きで、このまえ仲西さんも書いていた話には共感することばかりだと気がつく。むしろ目的地につかないほうがいいまである。ただただ移動する、正確には運ばれるほかない状況にいつづけたい、なぜならなにもしないでいい理由ができるから。移動の際に必要なのはスマホではなく本、しかもできるかぎりよくわからない本がいい。うまく理解できずに放り出して、でもほかにやることもないから本を読むしかなくまた手にとってしまう。2026年5月10日の私はそれをベッドのうえで、移動もできずなんともいえない腹部の痛みを抱えながらおこなっていた。

5月11日(月)

 おなかの調子はだいぶよく、しかしなんとなく変な感じも残っていたため朝食は近所のセブンで軽く済ませる。近所のセブンという響きはタイにそぐわないと思われるかもしれないが、タイにはセブンがいたるところにある。いまはクレヨンしんちゃんとコラボしているらしく、どの店舗にもいる。

 昨日存在を確認済みのバス乗り場まで歩いて移動。やはり鳥の鳴き声がよく聞こえる。タイには鳥がたくさんいる。少なくともよく鳴く鳥がいる。しかしその音にすると「ポーオウ⤴︎」というような声の主は二年前も今日も見つけることはできないでいる。あと、タイの鶏は「コケコッコー」ではなく「コケコッk」のように最後の音がすぐに終わる。おそらく鶏にもさまざまな種類があり、最後を伸ばさないのがso coolであるという共通認識が埋め込まれた遺伝子を持つ種類なのだろう。確かに音楽は少し物足りないくらいのほうがリピート再生してしまう傾向がある。あの気持ちいいところをもう一回聴かせてくれ、という思いがヘビロテの根本要素、つまり我々を駆動しているなにかだ。

 バスは無事やってきて出発。2時間半かけてチェンライまで移動。相変わらず運転はノリノリで、直線ではなくむしろカーブで抜いていくようなドライビングが続く。マストドーンでつたゐさんにその旨報告し、無事よろこばれる。バスも無事に到着。40年ほど前に父が泊まったことのあるWANCOME HOTELに無事空室を見つける。チェックインまで少し時間があるので散歩し、アカ族という山岳民族の栽培しているコーヒー豆が売りというカフェにて休憩。この情報を父は日本のテレビで得たらしい。チェックインして荷物を置いて、父はやはり40年前に行ったことがある地域に足を伸ばし、私は近場に見つけた山岳民族博物館に行ってみる。

 まず30分ほどのビデオを見る。日本語字幕・音声のものがデフォルトで選べるようになっていて、たくさんあるうちの有名ないくつかの民族を中心にその歴史や現在の暮らしぶりが紹介される。動画を見終えたら展示コーナーに移動ができる。基本的にタイ政府によって「タイの暮らし」に適応させられるのがお決まりのパターンで、もとは高地での芥子の栽培で生計を立てていたのが平地での別の作物の栽培や家畜の生育へと移行させられていく歴史が、現在進行形で続いている。コーヒー豆の栽培もその一環ということだ。さらに芥子の歴史を見ていくと、結局は西洋の植民地支配が根本にある。芥子=アヘン(Opium)が経済発展のメシの種として優れていることを発見した西洋は、その栽培を加速させる。もとは「薬用」として適量が使われていたオピウムが、その過程で麻薬=アヘンになってしまう。そのあとの歴史はアヘン戦争だとかで有名なくだりから想像してもらえばイメージはできると思う。これら山岳民族がタイに移動してきたのは実際にはここ百年前後くらいのことで、アヘン戦争よりもあとの移動がほとんどだ。しかしすでに芥子はアヘンになっている。そういった点からも山岳民族は文化を奪われているとも言える。館内には私ひとりだけで、集中して英語と向き合えた。必死に読む。二年前に泰緬鉄道博物館で同様のことをしたときよりも読めている気がする。ありがとうTypee。

 観光と搾取は本質的に同じものなのではないか、と昨日からなんとなく考えていたのだけど、今日のあれこれでその感覚は強まった感じがある。搾取された土地で観光は生まれる。観光とはそもそも「他者=異物のありようをおもしろがる」行為であり、その視線にはどうやっても「エキゾチック(を楽しむ)」という要素が存在する。それを完全に脱色することはできない。そして、観光地に住む人は自身の生活を切り売りしてお金を得る。山岳民族集落へのツアーの紹介コーナーが博物館にはあり、その際の各種注意点、つまりリスペクトを持って行動することというものが徹底して記載されていたが、そのリスペクトをもってしても搾取であることからは逃れられない。しかもその生活、文化を失わせている側が企画するツアーだ。よく考えたら意味がわからない。大事にしたいなら放っておくべきだ。奪っておきながら保護しよう、大事にしようとアピールする、その矛盾した態度は植民地主義のそれと同じだろう。搾取はより周縁の異物へと向かっていく。西洋がアジアを、アジアの中の覇権国家が従属国家を、従属国家が少数民族を、少数民族がその内部の弱者(女性と子ども)を。

 観光地での値切り行為に感じていた居心地の悪さもここに答えがあった。値切りは搾取だ。おおむね、物価が安いとみなした地域に対して値切りは行なわれる。観光客相手にぼったくってるんだから値切りしていいというのが主な正当化の理屈だが、より大きな視点で捉えれば、東南アジア諸国の経済を低レベルにしてきた原因は西洋と日本の植民地支配にある。かれらが我々観光客をぼったくるのはその報復であるとも言える。ならばその報いは受けて然るべきだ。ぼったくられても痛くも痒くもないのだから言い値で了解すべきなのだ。それがせめてもの贖罪なのではないか。そして残念なことに、いまや経済的な格差は日本と東南アジア諸国のあいだにはほとんどないように思える。言い値が高いと感じたならそれはぼったくりではなく、自国の経済の衰退が原因だ。

 外に出て、来る途中に目星をつけていた公園におやつでも買っていこうかしらん、と思っていたら大量の中学生。おそらく今日から学校が始まり(夏休みが終わった)、始業式を終えた制服の群れが道に、そしてセブンに溢れていた。さながらフェス会場のコンビニのようなセブン店内でバナナのおやつを手に、中学生しかいない列に並ぶ。知らないアイドルのライブに紛れ込んでしまったような申し訳なさを覚えつつ、ベテランであろうレジのおばちゃんの素早い打鍵(機械のほうがそのスピードに追いついていない!)を見ながら待つ。無事に購入し公園へ行くと、当然ながらそこにも中学生たちはたくさんおり、ここも学校の敷地内なのではと錯覚を覚えるほどだった。そのなかに紛れぼうっとバナナのおやつを食べる30代中盤の外国人旅行客。明らかにへんてこだが、へんてこであれるほうが人生は楽しめるからね、へんてこであることを恐れるでないぞ若人よ、などと思いながら無言でバナナのおやつを齧っていた。おいしい。

 ホテルに戻って父と合流。近場の夜市のようなところにある屋外フードコート的な場所で夕食。おなかの調子はほとんど通常運行となり、なんだかよくわからない野菜炒め丼を食す。うまし。ひとり湯河原にリトリートの旅に出たひろこさんから景色のよい露天風呂、裸の足先だけが隅に写っているちょっとえっちな写真が送られてきたので、こちらも負けじとえっちな写真、目の前の野菜炒め丼の写真を送り、ベビーコーンがえっちだという評論を繰り広げるなどした。ひろこさんはそのあと部屋でビールをぶちまけたらしく、通常運行のもよう。本は一切読んでいない。

5月12日(火)

 昨夜、とんでもない雨の音でまたもや目が覚める。日本で言うところのゲリラ豪雨なんて比じゃないレベルのものだった(実際に死傷者が出るレベルのものでなければゲリラという軍事用語を使うのではなく「気まぐれおこりんぼレイン」くらいで十分だと思う)。まるで遠くから飛行機のようなものが近づいてきているかのような音の前触れがあり、それがいつのまにかあたりを満たしてデフォルト設定になっているような感覚。カーテンを閉めているとその正体がまったくわからない。

 6時前に起きてホテルで朝食。タイ風のお粥。うまし。トゥクトゥクに乗ってチェンライ空港へ。意外と満員に近い便に乗ってドンムアン空港へ1週間ぶりに戻る。機内では『ロード・ジム』。

娘はあわただしげに、ひどく低い声で『これで四人の男と戦えますか?』と訊いた。この部分を語りながら、自分の応答の慇懃な迅速さを思い起こしてジムは笑った。どうやら相当芝居っ気たっぷりに答えたらしい。『もちろんだとも――いいとも――もちろん――何でも言ってくれたまえ』。はっきり目は覚めてはいなかったが、こういう異様な状況にあってこそ礼は尽くさねば、疑いも迷いもない献身を示さねば、そういう思いが頭にあった。(p.398-399)

 ダブリンに3週間ほどおためし留学をしていた20歳の夏は、まだアレルギーが原因であることがわからぬまま謎の体調不良を抱えていて、不眠対策に軽めの眠剤を飲んでいた。ある夜、眠剤を飲んで眠りについたすぐあとだと思うのだけど、ドアを叩く音がする。眠剤の効きが浅かったのか起きれてしまい、相当にぼうっとした状態で後輩に共有の部屋に連れていかれると、ルームメイトたちがパーティーのようなものをひらいていて、集合写真を撮るからシャッターを押してほしいと言われる。だからきっとなんらかの写真を撮ったはずなのだけど、そこからの記憶はなく、部屋に戻った記憶もない。パーティーに参加した記憶はもっとない。寝ぼけているというにはどこか様子のおかしい、うつろな顔と足どりであったはずの私にシャッターを押されたルームメイトたちこそ、むしろ幽霊に魂を抜かれたように感じたかもしれない。ホラー体験として記憶されている可能性もある。そのことについて後日感謝されたりなにかを言われた記憶はない。とにかく私は必死にシャッターを押したのだろう。なにに対する献身なのかはわからないが、人にはそういうところがあると思う。わけがわからない状況であるからこそその状況におけるベストを必死に探ってしまう。

 バスと電車を乗り継いでバイヨークスカイホテルという超高層ホテルへ。部屋は62階。せっかくだから77階の屋内展望台と、84階の屋外展望台へ行く。屋外のにはrevolvingという単語が見え、なんだろうと思っていたが、床が歩く歩道みたいになっていて立ったまま一周できるという代物だった。無駄にハイテクだが、いかんせんそれなりに歴史のある建物なので浅草花やしき感がある。

 父は昼に食べたそこそこ高級のごはん(トムヤムクン、プーパッポンカリー、ポメロサラダ)がしっかり効いているためホテル内でゆっくり、私は毎度お馴染みバンコクの紀伊國屋書店へと向かった。文学の棚を中心にじっくり堪能し、結局『ハムネット』の原書を購入。前回は『哀れなるものたち』だった気がするので、どうもここに来ると直近で見て気に入った映画の原作を買うことになるらしい。行きのANA便で映画もあることを確認しているので、明日の帰国便で観る予定。なかったら悲しい。

 なんだかんだで私も私もおなかがいっぱいのままなので、屋台でマンゴーライスの小さいパックを買い、父に頼まれていたフルーツも買い、部屋に戻る。最終日だけ父と同室。父は就寝、私は日記を書いて、しばらくしたら就寝予定。

5月13日(水)

 5時に起床して昨夜買っていたパインとスイカの盛り合わせ、ずっと食べれていなかったかっぱえびせんを朝ごはんとする。6時過ぎにチェックアウト、電車でスワンナプーム空港へ向かい、早々に出国審査を済ませて搭乗ゲート付近へ。9時35分発の羽田行きまで朝ごはんの追加とお土産を探す。かぶるだけのポンチョみたいな服、タイっぽい柄のものがあったのでひろこさん用に買う。レジでタイ人おばちゃんがうれしそうにお土産?と聞いてくるのでそうだと答えると、お母さん用?とさらにうれしそうに聞いてくる。とてもうれしそうなので肯定しておく。

 搭乗して早速映画を観る。まずは『ハムネット』から。初見時同様、やはり最終盤のアグネスがハムレット役の役者の手をおそらく無意識に触ってしまう場面で泣く。機内食の煮物を食べながら泣いている私の手をとってくれる者はいなかった。続けて『嵐が丘』と『おくびょう鳥が歌うほうへ』で迷い、後者を選択。こちらもよかった。自分の身体感覚を自分のやり方や基準で世界に対して位置づけること、それがままならない世界(で生活すること)へのベターな向き合い方となる、というようなことがラストの描写から受けとれた。伊藤亜紗の本みたいだった。

 映画2本をギリギリ見終えて、着陸態勢に。各種審査もスムーズに終え、海浜幕張駅へと向かうバスに乗り、雨が少し降るなか到着。お店まで歩いて、ポストに溜まっている郵便物を整理して、帰宅。ひろこさんがお風呂に入っていたので乱入。象の話をしていたら寒いから出る、続きはウェブで、と言って出ていってしまった。軽くごはんを食べながら象の話の続きをして、就寝。

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