香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

第6回(番外編):カナダで「大西洋の金」を釣る
本屋lighthouse 2026.09.21
誰でも
香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

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香港への引越しをきっかけに広東語を学び始めたら、なぜか釣竿をゆずりうけ、釣りをはじめたらいつの間にか、ある釣り友達の夕飯を釣りにいくのが暮らしの楽しみになっていた筆者の釣り&語学の魅力にせまる香港探索エッセイ。

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番外編 カナダで「大西洋の金」を釣る

 カナダの東海岸ノバスコシア州ルーネンバーグという港町がある。1700年代に英国からプロテスタントが入植し、「ルーネンバーグ」と呼ばれるようになったけれど、それ以前は先住民族ミクマクとアカディアのカトリック教徒たちが暮らし、もともとは「エセカティク(貝がたくさん取れる場所)」と呼ばれていた。1995年に北米植民都市の特色を残す街並みがユネスコ世界遺産に登録され、世界中から多くの観光客が訪れる。不思議な縁で、この街はわたしがふるさとの次によく知っている場所かもしれない。

 わたしは日本の大学在学中に結婚し、遠距離結婚を経て大学卒業後にカナダに移住し、それから10年ほどカナダで暮らした。トロントで大学院に進学し、映画制作会社で働き、そのあいだに子供を二人産んだ。暮らした都市はトロントとエドモントンだけだけど、このルーネンバーグには義母が住んでいるので、休暇ごとに1〜2ヶ月単位で毎年帰っていた。カナダのクリスマスも、夏休みも、この世界遺産の港町で過ごした。カナダで一番好きな場所はどこかと聞かれれば、ルーネンバーグと答える。カラフルな建造物が立ち並び、「北米でいちばん美しい」と呼ばれる港町の魅力については、またどこかでしっかり書けたらうれしい。

 さて、そんなわたしのカナダの「ふるさと」と呼ぶべき街に、香港に越してから3年目の夏、やっと「帰れる」ことになった(夏休みだ!!)。

 カナダへの旅程は3週間で、出発の前に花おじいちゃんに電話した。エッセイの順序と前後するけれど、この時点でわたしとおじいちゃんの出会いから10ヶ月ほどが経っている。わたしの広東語も上達し、3週間カナダに行くから今度一緒に釣りに行けるのは9月だよ、というメッセージを誤解なく伝えることができるようになっている。おじいちゃんと電話で10分も会話する。10分なんて、小さなことに思えるかもしれないけれど、わたしには大事なことだ。語学学習継続の秘訣は、どんなに小さな「ブレイクスルー」もしっかり認めて、祝福することだと思う。人と比べてよろこぶんじゃなくて、できなかったことができるようになったり、伝えたい言葉が見つかったり、誰かの一言が聞き取れたりする、そういう小さな瞬間にちゃんとにやにやする。新しい言葉が、古い自分の皮を剥がして、その下から知らなかった自分がちょっと見えてくる、そんな感覚だ。下手くそでも、にやにやしながら続けよう。もうその時点で、語学を勉強している意味はじゅうぶんある。

 おじいちゃんの電話の第一声は今回、「明日釣り行きたいのか?」だった。

「明日は仕事だよ」

「なら、来週は?」

「来週はカナダだよ」

「はあ?」

 そこからわたしはカナダへの旅行計画を伝える。

「3週間もいくのか、クレイジーか」

 そう言った電話越しのおじいちゃんは、少し眠たそうな声だ。

「寝てたの?」

「テレビ見てたらそのまま寝てた。夕飯は食べたか」

「食べたよ、おじいちゃんは?」

「今から食べる」

「もう9時だよ?」

「どうせ寝れないのだから何時に食べてもいい」

「そう?」

「そうだ。もう寝るのか?」

「寝ようかな」

「明日は仕事か」

「そうだよ」

 それからおじいちゃんはしばらく静かになって、こう言った。

「3週間って……ちょっと長すぎない???」

 香港に帰るまで、釣りはお預けだ。寂しいけれど、仕方がない。

 けれどルーネンバーグで過ごす間に、わたしは当たり前の事実に気がついてしまった。港町に滞在しているということは、確実に釣りができる環境にあるということだ。香港に暮らし始める前、何度もこの街に滞在したけれど、海は眺めるだけのものだった。もしくは、ときどき、泳ぐもの。ただ、この地域の海水には北極海の水が流れ込むため、海水がとてつもなく冷たい場合が多い。ビーチに寝そべるとジリジリとお日様が暑い日でも、実際に海に入ると寒くて、数分でビーチに走って戻る、というのがお決まりのパターンだった。

 ノバスコシアの海の色は、ぬったりとした粘力があるような深い影のある青で、美しいのだけれど近づき難い印象を与える。香港のあたたかで、浅い青色のやさしい波とは違う。わたしはルーネンバーグの、おもちゃ箱をひっくり返したようにカラフルで可愛らしい街を見晴らせる埠頭に立ち、波に目を凝らしながら、あの海にどんな魚がいるかなんて、17年間ほぼ毎年訪れていたのに考えたことすらなかったことに気がついた。ハチドリが飛ぶ庭で、シマリスが遊ぶベランダで、読書したりスケッチブックを開くいつもの滞在のスタイルもいいけれど。あの海で釣りをしてみたい……かもしれない。だけどちょっと怖い。

 この旅の大きな目的は、子供たちを連れて義母の先祖が住んでいた土地を訪れることだった。その土地は今でも「メリアム・ロード」と呼ばれる。メリアム一家がすみ(メリアム・ウェブスター辞書に関係あるとかないとか)、造船業で栄えたポート・グレヴィルという地域にある。ルーネンバーグから車で3時間。モーテル〈サンシャイン・イン〉に宿泊し、今は寂れたメリアム・ロードを訪ねた。この地域は潮の干満の差が世界一だと言われる。わたしの故郷、日本一の干満差を誇る有明海はおよそ7メートル、ここ、ポート・グレヴィルは世界一の干満差で有名なファンディ湾内にあり、干満差はおよそ12メートルだといわれる。干潮時に何も知らずにビーチを歩いていた観光客が、満潮時に砂州に取り残され、救助を待つことが多くあるそうだ。近年では観光客数が増えているものの、アクセスの悪さと知名度の低さから、滅多に人がいない。

 赤色のだだっ広い砂浜に立つといつも、違う惑星にいるような気になる。さまざまな大きさの滑らかに削られた丸い小石が、赤砂に模様を描いている。海水は冷たく、足をつけると数分もたたずに真っ青になる。義母が子供たちを連れて、砂浜を案内し、昔話をしてくれている間に、わたしとマイケルはキャンプファイヤーのための流木を集め始めた。すると一台のパトカーが浜辺に駐車し、一人の私服警官が近づいてきた。「今日の焚き火をしていい時間帯を確認しましたか?」。わたしたちが首を振ると、相次ぐ山火事のために新しい法律が施行され、近年では決められた時間にしか火を起こしてはいけないのだという。その日は午後8時から9時の1時間だけだった。わたしたちは無知さを反省し、教えてくれた警察官に謝罪し、何もすることがなくなったので散歩に行くことにした。

 海岸の端っこまで歩いたところで、後ろを振り返ると、海岸の様子がまるで変わっている。さっきまで小石がひしめき合うように輝いていた場所が海の中だ。引き返す途中、あの警察官が海に面するようにキャンピングチェアに腰掛けているのが見えた。あれはもしかして、釣り竿? 釣り竿ですか、釣り竿ですよね??? わたしは思わず走っていって、「魚、釣れました?」と尋ねた。香港では「やう・もう・ゆー?」と言うけれど、ここでは「Got any fish?」。彼はさっきまでの険しい表情を崩し、満面の笑顔で「まだ釣れていない」といった。「だけどここでは、Flounderがたくさん釣れるんだ」。フラウンダー、つまりヒラメだ。2メートル半ほどの長さの釣り竿に大きな錘、針は2つ付いている。法律で針の数も決まっているらしい。「僕はモントリオール出身で、それから転々としてね、警察官をずっとやってるけど、この地域に派遣になった。ハリファックスから通っていたけど、思い切って引っ越してきたんだ。この土地が大好きだよ」。彼はジョンと名乗り、それから釣り餌の貝と、仕掛けをしっかりと見せてくれた。干潮時にはヒラメ、満潮の時はシーバスを釣るそうだ。「どのくらい釣ってくの?」。そう聞くと彼は笑って、「釣ろうと思ったらどれだけでも釣れる。豊かな海だ。だけど、今日の夕食を釣ったらおしまい。それで帰る」。すぐにヒラメが釣れるから待っててと彼は言ったけれど、結局その日は釣れなかった。わたしはお礼をいって、彼と別れた。別れ際、「僕の写真を撮って、香港の釣り人に見せてよ」とポーズを取ってくれた。

 ジョンの隣でわたしは、釣りがしたくてうずうずしていた。モーテルに帰るとすぐに、釣り船を予約した。朝8時にルーネンバーグを出航する船だ。あの港から沖に出る船をわたしはそれまでに何度も見送ったけれど、その朝は、自分が見送られ、船の上から世界遺産の街を見ることになった。朝8時、港に着いて「ブルーノーズ帆船と展示船の真ん中に係留する船」という指示を頼りに向かった。そこにはモントリオールの男性とブルネットの女性がいて、一緒の船に乗るらしかった。しばらくして声をかけてくれたのは白髪頭で赤ら顔の船長ビル。ビルにはアジア人のわたしが珍しいらしく、「こういう中国の女性も、今は英語が喋れて、時々ドイツの人と結婚したりするんだよなあ」と意味不明なことを言っていた(こういうのは北米に住むと割と日常茶飯事なので、悲しいことに免疫あり)。その隣に立っていた強面で赤毛の男性は、わたしが挨拶すると「シップメイトのアレックスだ」と名乗った。助手として二人の10代の女の子も乗っていた。わたしたちの他に釣りメンバーとして乗り込んだのは、予想に反して家族づれのヨーロッパとアメリカからの観光客ばかりで、釣りの経験者はわたしとわたしの10歳の息子だけだった(以下、Kとよぶ)。Kはわたしとよく釣りに行く。普段は落ち着きがなくていつも飛び跳ねているのに、釣りをするときは人一倍静かで、じっと海を見つめ最後の一瞬までしぶとく粘るからか、わたしよりも大物を釣ることが多い。

 伝統的な漁業用木船・ドリー船が漕ぎ出す真っ赤な木造の建物の前を横切り、ルーネンバーグに停泊する数々の船の噂話を船長ビルから聞きながら、わたしたちを乗せた船はゆっくり進んだ。ルーネンバーグを最初に訪れてから早17年、一度も海からこの土地を見たことがなかったなんて。香港で釣りを始めたことで、予期しなかった場所で、別の海がひらけていく。ここの潮風は、香港のと違って冷たい。1時間ほど船を進めたところで、錨をおろし、釣りを開始した。船に用意されていた、わたしたちがいつも使う竿とは比べ物にならない太さの竿に、胸が高鳴る。錘もかなり大きい。餌はサバの切り身だ。釣り方は基本的に、香港の埠頭での釣りと変わらない。底まで仕掛けをおろし、ラインがはるくらいまで巻く。ただ、リールがいつも使っているのと違って、仕掛けを落とすときにラインの部分を親指で押さえておかないとすぐに絡まってしまう。息子は飛ぶように釣り竿まで走って行き、嬉々として仕掛けを伸ばし始めた。わたしも負けてはいられない。慎重にサバの切り身を針につけ、できるだけゆっくりと海におろす。海底に仕掛けがつき、ラインにテンションをかけた瞬間、すごい力で引っ張られた。思わずそばにいたアレックスに、「魚、魚!」と叫んだ。するとアレックスは冷たい目でわたしをじっと見て、ふっと笑い、「そのために来たんだろう」と言った。手を貸す雰囲気はみじんもない。

 香港では感じたことのない重みが腕にかかり、YouTubeでしか見たことがない動作を自分がやるときが来たのだと悟った。グーっと引っ張って、リールを巻き、グーっと引っ張って、リールを巻く。それを繰り返して、魚をひきあげる。十数回その動作を繰り返すと、海面のすぐ下に赤っぽい色の魚影が見えた。すぐ横にアレックスがタモを持って立っている。「いいサイズだ」。それからタモでその魚を引き上げた。見たことのない赤い色の大きな魚だ。50センチはゆうに超えている。アレックスが無言で、わたしたち用のバケツに魚を放り込んだ。「なんていう魚?」。すかさず尋ねると、「Cod(コッド)」と答えが返ってきた。「タラ」だ。Kに自慢しようと彼のほうを見ると、彼も顔を真っ赤にして釣り竿を必死に抱えている。魚がかかっているんだ。息子は「アレックス〜」と助けを求めているが、アレックスは彼の釣り糸の行方にサッと目をやると、息子を見もせずに「お前の魚だ。自分で釣れ」とだけ言って、どこかへ行ってしまった。「マミ〜〜〜」と情けない声でわたしを呼ぶKと、わたしはしっかり目を合わせ、うなずき、「アレックスの言うとおり!」と声をかけた。内心、ヒヤヒヤしたけれど危険でないならば、自力でやれるところまでやらせたい。

 助けは来ないと諦めたのか、Kは肘を高く上げて必死で引っ張ろうとしていた。顔を真っ赤にして、なんとか力が入る姿勢を見つけようと、何度も体の位置を変えている。リールを巻いて引いたかと思ったら、踏ん張れずに魚に引っ張られ、釣り竿を取られそうになりながらもなんとか引き上げる。

 しばらくしてアレックスが戻ってきて、Kの釣り糸の先を見ると、「大きな魚は釣れてない」と平坦な声で言った。こんなに頑張っている息子にあんまりじゃないかと思っていたら、「中くらいの魚が二匹釣れている。だから大変なんだ」と付け加えた。アレックスが言った通り、赤茶色の先ほどよりも小ぶりの魚(それでもゆうに30センチは超えている)が二匹バタバタと引き上げられた。「Polluck(ポラック)」、つまり、スケトウダラだ。Kはうれしそうに口をぽっかり開けて、魚を見つめている。「マミー! 二匹も!!」大喜びしたのも束の間、アレックスは慣れた手つきで二匹の魚から針をとると、あっさりと海に放した。待っていた大きなカモメが、そのうちの一匹をさらっていく。「アレックス! なんでえ??」と半分泣きそうな息子に、アレックスが「44センチ」と言い放つ。二匹とも州で決められている規定のサイズに満たないために、海に返されたのだ。「I hate Pollucks!!!(スケトウダラなんて大っ嫌いだ!)」と理不尽な八つ当たりをしながら、Kはまた餌をつけ、その後も顔を真っ赤にしながらたくさんの魚を釣っていた。

 2時間のみの釣り時間だったけれど、タラ、スケトウダラ、サバの三種がそれぞれ10匹以上釣れた。タラにいたっては、20匹は釣れたと思う。タラは大西洋では豊富にとれ潤沢な利益を生んだので、「海の金」と呼ばれていた。特にすぐ近くにあるニューファンドランドでは、金よりも利益をうむ資源として「大西洋の金」として求められた。他の参加者はあまり釣れていなかったので、みんなわたしたちのバケツを見にきて写真を撮っていた。釣れた魚は、大きなタラを数匹、アレックスに船上で捌いてもらった。頭と内臓をロブスター漁の餌にしたいと言うので、フィレ以外の部分はアレックスにあげた。彼は魚を捌く間も、「指が飛ぶぞ、離れろ」とか相変わらず愛想がなかったけど、彼の助けがなかったら、Kと一緒の釣りはもっと不安なものになっていたと思う。感謝。

 さて、今回釣った魚は、おじいちゃんの夕飯ではなく、わたしたちの夕飯になった。ノバスコシア州ではタラはシーフードチャウダーに欠かせない。クリスマスにはターキー(七面鳥)を食べるけれど、イブには義母がシーフードチャウダーを作ってくれる。今回は、タラが釣れるなんて思いもしなかったのでチャウダーを作るための材料は用意していなかった。シンプルにバターソテーと味噌鍋にした。とても綺麗な切り身だったけれど、調理するときにギョッとしたのは、魚の身にいた虫だ。数匹は目視できた。アニキサス中毒の報道などでよく目にする、あの白い、ヒモみたいなニョロニョロする虫だ。できるだけ取り除いて、しっかり加熱したけれど、正直かなり食欲が削がれた。ソテーしたタラはとても柔らかだった。だけど淡白で、やっぱり鍋とかチャウダーのほうがおいしくいただけると思う。「おいしいねえ。こんなにおいしい魚が釣れてラッキーだったね」とKが満足げに言い、義母が自分の父親も釣り好きだったと、昔話を始めた。久しぶりに帰ったカナダで、自分史上最大の60センチの魚が釣れたのは、いい土産話にもなった。

 8月末、香港に帰ってからすぐに花おじいちゃんと釣りに行った。釣れた魚の写真を見せながら、44センチ以下の魚は海に返さないといけなかった話をすると、「カナダ人はクレイジーか」と驚いていた。「チャウダー、おいしそうだなあ」とおじいちゃんが珍しく食べたそうな顔をしていたので、今年のクリスマスは、おじいちゃんにシーフードチャウダーを食べてもらおうと思う。

 カナダの大きな海もいいけれど、わたしはおじいちゃんとの温かい海が落ち着く。まだ気温は高いけれど、香港の海にもすぐに秋が来る。これからまた、おじいちゃんとどんな場所で、どんな魚に出会えるだろう。少し新しい自分で、「帰る」場所が増えていく。

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吉田育未(よしだいくみ)

佐賀出身。大学で米国留学をしてから10年ほどを北米で過ごし、現在は香港在住。広東語を学ぶ目的ではじめた釣りを通して、様々な魚や人たちと出会う。時間をかけたいものは、読書、散歩、そして釣り。教師や翻訳家として働く時間も大切。

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翻訳担当書籍

エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)

エマ・ドナヒュー『聖なる証』(オークラ出版)

アリス・シャートル/ジル・マケルマリー『リトルブルー』シリーズ(出版ワークス)

ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(オークラ出版)

デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(作品社)

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』(左右社)

アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』(早川書房)

トーリ・ピーターズ『ディトランジション、ベイビー』(河出書房新社)

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