忘れていくものの記録260921〜1004

読書日記
本屋lighthouse 2026.10.05
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9月21日(月)

No one ever saw Toby laugh—I mean in the hearty abandonment of broad-mouthed mirth. He did smile sometimes, it is true; and there was a good deal of dry, sarcastic humour about him, which told the more from the imperturbable gravity of his tone and manner.

トビーが笑うのを誰も見たことがない――大きく口を開けて愉快に笑うことを完全に放棄してしまったのだとおれは考えている。確かにトビーはたまに笑いはした、それは本当だ。でもかれが纏っていたのは、その雰囲気と作法に感じられる冷静沈着な厳粛さから発せられる、ドライで皮肉なユーモアだった。

 台風接近中のため悪天候。わからん読書会の開催も危ぶまれたが、参加者の大半が近所の人だったためお店にも5人来る。zoom参加が2名。大盛況。読書会初参加も数名いて、やはりハードルを下げることの必要性を感じる。わからないことは多いが、わからないなりに「感じていること」は各々たくさんあり、その感じていることを表に出すか出さないか、より正確にいうならば「出せるか出せないか」であり、そのハードルを高くしているのが「わかってないといけない=正解を言わないといけない」というような強迫観念なのだろう。

 読書会後、電車が止まってしまうかもしれないIさんは素早く帰宅。ほか数名は雨宿りしつつ海外文学の話で盛り上がっていた。アフタートーク的なものが発生する読書会は成功のような気がする。雨が弱まる気配がないのでみなさん諦めて帰宅し、私は作業の鬼に(なる前に注文品を受け取りに来た人がいた、こんな雨の中、大感謝)。夕方にWi-Fiがおかしくなり工場出荷時の設定に初期化、などをしていたら閉店時間になってしまった。悲しい。しかし大繁盛している日でなくてよかったとも言える。

9月22日(火)

Latterly I had observed that Toby’s melancholy had greatly increased, and I had frequently seen him since our arrival at the island gazing wistfully upon the shore, when the remainder of the crew would be rioting below.

この頃トビーの憂鬱症が酷さを増していく一方なのにおれは気がついていた。島に到着してからというもの、残った船員たちが眼下で騒ぎを起こしているときとか、やつはしょっちゅう海岸のほうを物憂げに見つめていた。

 次回のわからん読書会課題本候補を見繕いつつオープンに成功。やはり幽霊、そして古典文学に意識が向いていくからか、ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』が光って見える。開店直後に急にたくさん人がやってきて、しかし結局購入に至ったのは1グループのみで、そのあと尻すぼみ。作業は概ね満足いく程度まで進む。ハントの英語本も久しぶりに読めた。そして丹治先生の本を読み進める。

モリスにとって国民国家とは、相互に「軋轢」を抱えている「家族」や「種族」(=民族)を「無理矢理」「国民」なるものに「まとめ」ることによって構成される「人工的で機械的な集団」にすぎない。そしてそのうえで、「愛国心」という「おろかしく妬み深い偏見」を「かきたてる」ことで、他の国家への敵愾心をあおり、そのことによっていっそう「愛国心」を強化することによって、差異のなかからかろうじて同一性(ルビ:アイデンティティ)を創造し維持している「集団」にすぎない。(p.193)

 モリスが見ていたのは「帝国主義的国家どうしの苛烈な戦争としての第一次世界大戦を準備していた一九世紀末」(同上)だが、こうして歴史は繰り返されている。この時期のイギリスは田園風景を愛国心のアイコンとして設定していたわけで、それは帝国主義的な側面と結びつく面がありつつ、単に自然を愛することにしか向かわないものでもあり、そういう意味では無害な愛国心とも言える。外国人嫌悪のような方向にいかない愛国心の醸成。危機に対する恐怖心が愛国心を必要としてしまうなら、攻撃的ではないものを設定するほかない。

9月23日(水)

 世間は祝日。私は休日。

I was aware that he entertained a cordial detestation of the ship, and believed that should a fair chance of escape present itself, he would embrace it willingly. But the attempt was so perilous in the place where we then lay, that I supposed myself the only individual on board the ship who was sufficiently reckless to think of it. In this, however, I was mistaken.

トビーがこの船に対する心底からの嫌悪を抱いていることにおれは気がついていた。だからフェアな脱出のチャンスを与えるべきで、やつならそれをよろこんで受け入れるだろう、とも思っていた。でもこの試みはおれたちがいる船上では非常に危険なものだったから、おれは自分がこの船の中で相当に向こう見ずなことを考えている唯一の存在であるように思えてもいた。まあそれは、間違っていたわけだけども。

 渋谷の松濤美術館で開催中の「路上、お邪魔ですか?」の展示。アナキズムの文脈から気になっていて、その観点からすると少し物足りないような気もするが、それは単に「あっと驚く新発見」みたいなものが私にとってはない、つまりすでにある程度ものにしている概念の補強をしにいくだけだから、ということなのだろう。特に印象に残ったのは、路上観察学会の活動が「ウケる」を目的にしないように気をつけていた、という点。あと、大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎の展示。これが順路の序盤にあり、おそらくもっとも時間をかけて見ていた。祈り、あるいは「狂う」と言ったほうがいいかもしれないもの。そこに希望を見出す、そういうイメージだろうか。まだ言語化も理論化もできないが、苦しくなったら思い出せばいい。いちばん笑ったのは路上観察学会コーナにあった「屁の記録」。ヨーロッパ旅行中にした屁の音などを記録したノートなのだが、滞在している国の言語に似た表記方法になっている(特にフランス)という発見があった、という紹介に吹いてしまった。天才の所業。

 帰路、赤坂見附駅に着いた瞬間に双子のライオン堂の存在を思い出し、溜池山王で降りて向かった。15時の開店時間に合わせて到着すると、店内にはすでにたくさんの人がいることが外に置いてある傘からわかり、繁盛しているな〜と思って中に入ったら、そろそろ刊行の『随風 04』のサイン色紙作成祭が開催されているだけだった。つまり純粋な客は私のみ。ライオン堂には院生時代に来て以来だと思う。きっとそのときよりも在庫数は増えているのだろうけど、印象はあまり変わらなかった。相変わらずすごい本の量だ。そしてすでに文庫化された単行本や、おそらく品切重版未定になっている本もたくさんある。古本屋みたいな新刊書店だが、本屋が持つアーカイブ性のことを考えるとあるべき姿なのだろう。ジョン・サザーランド『若い読者のための文学史』(すばる舎)を購入して帰宅。

 東京の人の多さ、やはり「ビジネス」をするには羨ましい。しかし私はビジネスがしたいわけではない。祈り、あるいは狂うと言ったほうがよいかもしれないものを、私はやりたいのだ。

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