香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

第1回:猛風と放生
本屋lighthouse 2026.02.21
誰でも
香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

香港釣魚新手日記――花おじいちゃんの夕飯を釣る/吉田育未

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香港への引越しをきっかけに広東語を学び始めたら、なぜか釣竿をゆずりうけ、釣りをはじめたらいつの間にか、ある釣り友達の夕飯を釣りにいくのが暮らしの楽しみになっていた筆者の釣り&語学の魅力にせまる香港探索エッセイ。

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猛風と放生

 年が明けて3日目に、花おじいちゃんから電話がかかってきた。わたしは公園で3人の子供たちにおにぎりを食べさせながら、自分もおにぎりをほおばっていて、あまりいいタイミングではなかったのだけれど、いそいでスマホを手に取った。おじいちゃんはラインとかSNSとか、メールとかいっさいしない。スマホは持っているけれど、通話以外の使用方法を知らない。

「ハ、ロー!」となるべく明るく、はきはきとあいさつする。

 すると、おじいちゃんのゆっくりとした声が返ってくる。

「飯は、食ったか?」

 広東語では、あいさつがわりに「食咗飯未呀?(ご飯は食べましたか)」というフレーズを使う人が多い。おじいちゃんもそうだ。「今食べてるよ。おじいちゃんは?」と、わたしはすかさず返す。けれど、おじいちゃんは沈黙している。聞こえているのだろうか。後ろからはテレビだかラジオだか、早口の広東語がかすかに聞こえる。

「ああ?」と、おじいちゃんのぶっきらぼうな声。

「今、食べてるよ!」

「どこにいる?」

「公園で子供たちと遊んでるよ」

「仕事か」

「ううん、子供たちと遊んでるよ」

「え? 仕事??」

「こ・う・え・ん! こ・ど・も! あ・そ・ん・で・る!」

「ああ??」

 おじいちゃんとの会話はいつもこうで、わたしの広東語の発音が悲惨なのか、おじいちゃんの耳が遠いのか、そのどちらもなのか、原因はわからないけれど、意思の疎通が難しい。

「飯、食ったか?」

「食べたよ! おじいちゃんは?」

「たくさん食べたほうがいい」

「だから、食・べ・た・よ!!!」

「ああ??」

「だー、かー、らー……」

「今、仕事か?」

「ちがうよ、遊んでるんだよ!」

「ああ??」

 ああなぜ、新年早々、わたしのへたくそな広東語を何度も、こんなに大きな声で繰り返さなければならないのだろう。しかも公園だから、けっこうな数の聴衆がいるのに。

 だけどいつも、通じているのか通じていないのかよくわからないこういうやり取りを3分くらい続けていると、ついにおじいちゃんがあの質問をしてくれる。

「金曜日、釣り、行くか、行かないか?」

 このフレーズだけは、絶対に聞き間違えない自信がある。

「行く!」

 というわたしの答えも、おじいちゃんは聞き逃さない。

***

 花おじいちゃんとは、3か月くらい前に香港の新界東に位置する半島、西貢(サイクン)の埠頭で出会った。わたしはその日、子供たちが通う小学校のPTAの顔合わせがあったのだけれど、どうしても釣りがしたくて小学校に行くバスからいつも見える埠頭で、釣りをしてから会合に行くことを思いついたのだった。ひとりで釣りをすると、高い確率で年上の男性に声をかけられる。だいたいは、「そんな釣り方じゃ釣れないよ」的なマンスプレイン系なのだけれど、わたしはあんまり嫌だとは思わなくて、わたしのへたくそな広東語の練習に付き合ってくれるご奇特な人たちだと思い、けっこう張り切って受け答えをする。

 その日は快晴で気温は30度前後。だけど東からの風がとても強かった。西貢の埠頭は、東西にふたつあり、東側が古い構造で魚が隠れる場所が多いらしく、釣り人たちはこちらにしか集まらない。もうひとつの埠頭は、シャープアイランド(橋咀洲)やら近くの離島までのボートがかなり頻繁に行き来する。東の埠頭のベンチにリュックを置いて、竿を伸ばしていると、どこかから「まっふぉんをぉー!」という声がする。ひょろながい人影が埠頭の右の端で揺れ、わたしのいる左端の埠頭を指さしている。「まっふぉんうぉー!」。「ふぉん」は広東語で「風」だということは知っている。多分、風が強いよと警告してくれているのだろう。わたしは「オーケイ!」と大きな声で返事をして、風が直接こないベンチの陰に腰を下ろし、ルアーを取り付けることにした。*1

 強い風のせいで、なかなか釣り糸が結べずにいるわたしを見て、よく日焼けしたずんぐりむっくりのおじさまが「それじゃあダメだ」とわざわざ言いにきてくださった。「そんなんじゃ釣れないよ。全然ダメだ」おじさまはにこにこと笑みを浮かべて、首を横に振っている。わたしは「ダメじゃないよ!」と返した。

「ダメだって」

「ダメじゃないって!」

「ダーメ!」

「ダメじゃない!」

 と言いつつ、風でルアー装着にてこずっているのが恥ずかしくなり、ますます手元が定まらなくなる。やっとこさルアーをつけて埠頭の海に続く階段を下り、キャスティングしようとしたら、わたしのすぐとなりで、だぶだぶのTシャツを着た年配の女性が腰をかがめて、水面に手を伸ばしているのに気が付いた。女性の足元には大きな青いバケツがあって、あふれんばかりのカニが入っている。彼女は海に向かって何かつぶやいたあと、急に振り返ってバケツからカニをつかみあげ、カニのハサミを縛っていた結束バンドをハサミで切った。そして、暴れるカニを海に放した。

 まるで秋の日に木の枝から落ちる、ひとひらの紅い葉のように、カニはひらひらと深いところへおりていく。そのあともおばさんはカニを次々に自由にし、カニは宙を舞うように海に帰る。

「フォンサーン」

 振り向くと、さっきのダメだよおじさんがそこにいて、女性のほうを指さした。

「フォン、サーン? フォン、サーン?……もしかして放生(ほうじょう)のこと?」

 広東語の音と漢字を頭の中で一致させ、スマホのメモ機能で漢字を表示して、おじさんに確認する。

「そう、そうだよ。あんた、どこの人? アンニョンハセヨ?」

「日本人」

 そのあと、わたしは逃がされる甲殻類とおばさんをじっと見ていた。その間、わたしの横でおじさんは彼の名前がブライアンで、もと警察官で、英語が流暢なことを教えてくれた。それから、カニを放している女性は、毎朝ここにきて、市場で買ってきたカニを海にかえすことも。毎朝欠かさずに、だ。その女性には病に伏した夫がいて、彼の回復を祈って功徳を積んでいるのだという。その話を聞きながらわたしは、なんて詩的な光景だろうと思った。けれど、注意を払えば払うほど、おばさんが結束バンドを切るときにカニのハサミにはさまれたりして、すごい頻度で舌打ちをしているのが気になり、厳かな雰囲気は少しずつ消えていった。ついに彼女は、カニの自由を奪っている結束バンドを解くのをあきらめ、そのままカニを海に放った。身動きの取れないカニたちが、海底に落ちていく。そしておばさんは空になった青いバケツをもって、階段をゆっくりと上っていく。薄いシャツの生地に汗がにじみ、息が上がっている。彼女は市場に行きバケツ満杯のカニを買い、ここに戻り、カニを海に放す、という工程を毎朝5回ずつ繰り返すのだという。

「これ、使いなさい。日本人の釣り方はここでは通用しないよ」

 ブライアンの声にはっとして振り返る。彼は、魚の切り身と釣り針、重りのついた仕掛けを差し出している。切り身は、さっき釣れたアイゴらしい。

「日本人の釣り方っていうか、わたし、釣り、初心者なんです」

「いいから。いいから。見せてあげる」

 ブライアンはそう言って、わたしが苦労して結んだルアーを切り離し、彼の仕掛けを結ぶ。ここはムカつくべきところだけれど、彼の手際の良さに、ほれぼれしてしまう。なんて美しい結び目なんだろう。

 そういうわけで、わたしはブライアンにプチ弟子入りをした。PTA会合まであと2時間。何が釣れるか見せてもらおうじゃないの。アイゴの切り身から20センチほど離れたところに6号錘をつけてキャスティングし、釣り糸がたゆまないように長さを調整した後、竿を置き、竿先が動くのを待つ。全然動かない。

「釣りの醍醐味は釣果にあらず。釣りという行為そのものにある」という中国語の表現があるらしいけれど、わたしがへたくそでも釣りがすきなのは、釣りという行為、動作が好きだからだ。海のことや魚のことをいろいろ考えて、仕掛けとかエサとかを妄想し、いざ海を見つめて、竿先を見つめて、ただ見つめている時間がほんとうにすき。魚が釣れたらうれしいけれど、それよりも海のそばで海と交信しているみたいな気持ちになる時間に吸い込まれている感覚だ。ちょっとだけ、わたしにとっての「翻訳」とも似ている。ある有名な翻訳家が「もし翻訳したものがだれにも読まれないなら、わたしは翻訳しないと思う」いうようなことを言っていたけれど、わたしはその感覚があまり分からない。だれに読まれなくても、翻訳し続ける。その文や言葉を見つめる、見つめながら自分の中で何かがざわざわ動いたり、すーっと静かになったり、その過程がすきだからだ。物語に、言語に吸い込まれる。その「ひとり」の時間がすきなのだと思う。

 だけどブライアンとの釣りは、真逆だった。ブライアンは魚を待つ間、ずっとわたしにスマホの画面で、これまでに釣った魚や、若いころの彼の顔の写真を見せ続けた。彼の人生に興味があるかと聞かれれば、別にないわけではないのだけれど、わたしは釣りをしにきたのだ。ブライアンと交信したいんじゃなくて、海と交信したいのだ。ブライアンの職歴の話が警察官を退職するところまで進んだころ、釣り竿の先がぴくん、ぴくん、と動いた。

「食った!?」と喜ぶわたしに、ブライアンが渋い顔をして、こう答える。

「フォンサーン」

「へ?」

「この動き方は魚じゃないよ。フォンサーンだよ」

 そういわれてよく見ると、竿先は引っ張られては少し戻って、また引っ張られてを繰り返す。微々たる動きだ。

 フォンサーン……ああ、放生。まさか、まさか……

 ゆっくりと糸をまくと、海面から大きなカニが姿を現した。アイゴの切り身にしがみついている。その色は紅葉というより、どこでつけたかわからないけれどいつのまにかついた、青あざみたいな色だ。

 早朝に捕獲されレストランで潰えるはずだったカニの命が、おばさんによって救われ、今、わたしによってふたたび捕獲された。このカニ、運がいいのか悪いのか。ブライアンは首を横に振っている。わたしだって、分かってる。カニさん、海にお帰りください。

 

 結局この日は、放生のカニにしか出会えなかったけれど、釣り道具を片付けるわたしに、「さおごん、あ(収工呀)?」と尋ねる人がいた。釣り始めのときに風が強いと警告してくれた背の高い老人だ。「さおごん(収工 sau1 gung1)」は「仕事終わり」という意味だけれど、この場合では「釣りはもう終わりか」という意味だ。「はいあー(係呀)」と答え、手を振った。実はこの人が花おじいちゃんなのだけれど、わたしたちがいっしょに釣りをするようになるのは、この日から2週間後。

 埠頭を去るとき、大きな旗にカニの絵がかいてあるのがふと目に留まった。

「放生は環境を破壊します。外来種を海に放さないでください」

 あのカニは、なんていうカニだったんだろう。遠いところから、連れてこられたカニだったのかな。魚臭いままで参加したPTA会合のあいだじゅう、わたしはずっと、カニと放生と、次に釣りに行ける日のことばかり考えていた。

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  • 「まっふぉん」 後日、広東語の先生に確認したところ「猛風」で正しい発音はmaahng5 fung1 【マーン・フォン】。ものすごく強い風のこと

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吉田育未(よしだいくみ)

佐賀出身。大学で米国留学をしてから10年ほどを北米で過ごし、現在は香港在住。広東語を学ぶ目的ではじめた釣りを通して、様々な魚や人たちと出会う。時間をかけたいものは、読書、散歩、そして釣り。教師や翻訳家として働く時間も大切。

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翻訳担当書籍

エマ・ドナヒュー『星のせいにして』(河出書房新社)

エマ・ドナヒュー『聖なる証』(オークラ出版)

アリス・シャートル/ジル・マケルマリー『リトルブルー』シリーズ(出版ワークス)

ニナ・ラクール『イエルバブエナ』(オークラ出版)

デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(作品社)

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』(左右社)

アンジェライン・ブーリー『真実に捧げる祈り』(早川書房)

トーリ・ピーターズ『ディトランジション、ベイビー』(河出書房新社)

など

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